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編集者:クジラ
編集内容:一部追記。余談と関連動画を入れ替え。「人々」「一般市民」「避難民」等の表記を一部整えました

※以下、漫画『僕のヒーローアカデミア』第324話及び、アニメ第137話の重大なネタバレを含みます。

大丈夫

飯田くんたちが紡いだ」

爆豪くん紡いだ

「私たちはもう君を離さない 離されない」

ヒーローが辛い時

誰がヒーローを守ってあげられるだろう

未成年の主張

周囲の人間を傷つけたくないと、たったひとりで戦う中で焦燥し疲弊していたデクは、A組クラスメイトたちの必死な言葉と気持ちを受けて、閉じていた想いをようやく開く。

しかし、デクたちが雄英高校に足を踏み入れると、大勢の避難民たちが「デクが雄英に戻ることで自分たちに危険が及ぶ」と厳しい反発の主張をぶつける。すると、お茶子が拡声器を手に取り、避難民へと訴える。

「デ……緑谷出久は特別な力を持っています」

「違う!迷惑かけないようここを出て行ったんです!!」

「連れ戻したのは私たちです!」

「彼のは…!あの…特別で!オール・フォー・ワンに勝つ為の力です!」

「だから狙われる!だから行かなきゃいけない!!そうやって出て行った彼が今どんな姿か見えていますか!!」

「この現状を一番どうにかしたいと願って、いつ襲われるかも分からない道を進む人間の姿を…見てくれませんか!!?」

「特別な力があっても!!特別な人なんていません!!」

デクが雄英を離れた理由、独りで戦い続けていたこと、傷つき疲弊していること…。

そして、お茶子は叫ぶ

「ここをっ!!」

「彼の!!」

「「「ヒーローアカデミアでいさせて下さい!!!」」」

お茶子やA組メンバーたちの主張は群衆に届き、

辛い時へ苛まれるヒーローを守る〝一歩〟を導く主張となった。

解説

麗日お茶子の成長とヒーロー観

雄英高校に入学した当初、お茶子は「お金を稼いで両親に楽をさせてあげたい」という現実的な想いからプロヒーローを目指していた。

しかしヒーローを目指す仲間達との経験を経て、徐々にその想いに変化が生じていき、やがて彼女は「ヒーローを応援する人たちの喜ぶ顔が好きだった」という自分自身の夢の原点を自覚するようになる。

ヒーローインターンにおける死穢八斎會との戦いを通して、彼女の内面に「人を救けたい」という感情が芽生えた。しかしそれは出久の想いとは異なり、むしろ出久のように人を救けるために必死に戦う人間に対して向けられた感情であったと言える。

『ヒーローが辛い時 誰がヒーローを守ってあげられるだろう』

これは単行本22巻212話、B組とのクラス対抗戦の中で、彼女の口から語られた疑問である。

この問いへの答えとして、「ヒーローが辛いときに守ってあげる」存在とは、彼女自身がそう在りたいと願う姿であるのと同時に、プロヒーローではない者を含めた社会に生きる全ての人々を指し示していることが明らかとなった。

一連のシーンを通して、彼女は避難民達に出久の想いを訴え、それと同時に「困難な道を歩む人の力になりたい」という彼女自身の想いを訴えている。

その想いは「いつも疲れた顔をしていた両親の力になりたい」という幼少期の彼女の想いの延長線上にあるものであり、彼女が多くの人々との出会いを経て人間的に成長したことを表現するものとなっている。

社会の分断

A組が出久救出作戦のために雄英高校を発つ前、根津校長は彼らの前で、これまでヒーロー社会が向き合い続けてきたひとつの社会問題について言及している。

『不理解 不寛容 何れも"あと一歩" 近寄ることのできなかった人々の歩み』

『私は思う この困難な一歩を道と成したとき そこにオールマイトをも超える最高のヒーローが誕生するのだと』

根津校長自身は、こうした問題を「ヒーロー」や「敵」、「一般市民」といった立場に限ったものではなく、ヒーロー社会における様々な分野に通じる問題として語っている。

一見すると抽象的で理解が難しいこの発言は、お茶子の説得の後、人々の前に立った一人の避難民の言葉によって、具体的な意味が示されている。

『俺はこうなるまで気づかなかったよ 俺は"客"で ヒーローたちは舞台の上の"演者"だった』

この発言を通して、彼は心のどこかでプロヒーローの活躍を「娯楽」のように考え、ヒーローの戦いを自分とは違う遠い世界の出来事のように感じる想いがあったことを明かしている。

実際にこうした風潮は物語の初期から様々な場面に散りばめられており、例として単行本11巻91話におけるオールマイトとオール・フォー・ワンの戦いをテレビやラジオを通して観戦し、かれらヒーロー達が命を懸けて戦う姿を楽観的に批判する人々の声があったこと等が挙げられる。

かつてオールマイトは、目に見えない不安と恐怖に怯える人々に希望と安心を与え、混迷の最中にあった社会の在り方を一変させた。

オールマイトが社会に与えた影響は、犯罪発生率の低下という統計上の事実以上に、人々の意識を変えるという点で大きな意義を持っていたと言える。

しかし長く続いた平和な社会の中で、人々はいつしかヒーロー達が不安や恐怖と立ち向かい続けているという事実を忘れ、ヒーローと一般市民の生きる世界の間には、舞台の「上」と「下」という互いに交わることの無い分断が生じていた。

彼は自身の発言を通して、目の前の苦難を乗り越えるためには、ヒーローたちと同じ視点に立って、失敗を重ねても尚戦い続ける彼らの想いを理解し、受け入れなければならないことを訴えた。

それと同時に、彼の言葉は死柄木弔オール・フォー・ワンという巨悪に立ち向かうため、更にその先の社会の復興のためには、プロヒーロー以外の全ての人々を含めた社会の団結が求められていることを意味している。

「敵(ヴィラン)」と社会の分断

一連のシーンの中では、「ヒーロー」と「一般市民」に加え、更にもうひとつの「分断」が示唆されている。

お茶子は人々への説得の最中、涙を浮かべたトガヒミコの顔を一瞬だけ脳裏に思い浮かべている。

それは説得の最中に彼女が覚えた一抹の違和感の正体であり、「みんなの笑顔」を想ったとき、彼女自身がトガヒミコを無意識に「みんな」の中から排除していたことを自覚したことを表している。

作中登場する様々なヴィラン達の過去を紐解くと、彼らが犯罪者になるまでには、自身の"個性"と社会との不調和や自己実現の挫折があり、周囲の不理解や不寛容が、道を踏み外す大きな要因となっていることが明らかとなる。

しかしそれとは裏腹に、社会に生きる大多数の人々にとっては「敵(ヴィラン)」もまた自分達とは異なる世界に生きる存在、勧善懲悪の物語のキャラクターのような存在であると見なされ、ヴィランとなった人々の想いや境遇からは目を逸らされてきた。

ヒーロー社会には、「ヒーローと一般市民」だけではなく、「ヒーローと敵」、「敵と一般市民」の間にも深い分断が存在している。

彼らの間にまたがる不理解と不寛容こそが、今もなお敵が生まれ続ける原因の正体であり、全ての人々の笑顔を願う彼女達が真に立ち向かうべき問題であるということが暗に示されている。

麗日お茶子の戦い

また、一連のシーンの中では、出久とお茶子のヒーロー観が補完関係にあることが示されている。

出久は「どんなに困っている人でも笑顔で救ける」という自身の目指すヒーロー像の中で、ヒーローの"笑顔"を主体的なものとして捉えている。

こうした出久のヒーロー観とは対照的に、お茶子は「ヒーローが人々を笑顔にし、人々がヒーローを笑顔にする」という形で、ヒーローと周囲の人々の"笑顔"を客体的・相互的なものとして捉えている。

作品全体を通して、"笑顔"とは、その人物の人間的な強さ、他者に対して希望や安心を与える象徴的なモチーフとして度々用いられるものである。

出久にとっての"笑顔"がヒーローとしての自分がそう在りたいと願う姿であるのに対し、お茶子にとっての"笑顔"は困難に立ち向かうヒーローを支えるものである。

これらの関係性は、未成年の主張の中で描かれた一連のシーンを通して「誰にも理解されない孤独な戦いの中で出久が失った"笑顔"を、A組や避難所の人々の力によって取り戻した」といった形で物語の中に落とし込まれている。

出久を間近で見続ける中でお茶子がたどり着いたヒーロー観は、出久の目指すヒーロー像に必要不可欠なものとして、表裏一体の関係性にあると言える。

また、一連のシーンの中では、麗日お茶子がヒーロー科の学生であることも特筆すべき点となっている。

社会を守るプロヒーローと守られる一般市民の間には、ある種の上下関係が存在している。

お茶子自身がそれを意図していたかどうかにかかわらず、ヒーローの卵としてのモラトリアムに置かれた彼女は、子供と大人、ヒーローと一般市民との間にいる存在であり、それ故にヒーローと避難民達の双方の立場に立って、互いの分断を繋ぐ架け橋となることができたのだと言える。

物語の転換点

お茶子の説得は避難所の人々の意識を変えただけではなく、より大きな視点で見たときには、これまで一方通行だったヒーローと人との関わり方を変化させるストーリー上のターニングポイントとなっている。

一連の出来事の顛末は、ホークスのこのような発言によって締めくくられている。

『オールマイトが緑谷くんに繋いだ』

『緑谷くんをA組が繋いだ』

『ウラビティが人々と緑谷君を繋いだ』

『そして人々が もしも全員が少しだけ "みんな"の事を思えたなら』

『きっとそこは ヒーローが暇を持て余す 笑っちまうような明るい未来です』

この発言によって、作品を通してのストーリーの流れが端的に説明されているのと同時に、平和の象徴・オールマイトから紡がれてきた平和への願いが、超人社会の中でどのように紡がれてきたかが表されている。

一段目は物語の一話から最終章に至るまでの出来事、二番目はデクVSA組、三段目が未成年の主張のシーン、そして四段目はA組と避難民達が手を取り合う目の前の光景を表している。最後の五段目は、彼が思い描いた作中の未来の光景であり、お茶子の行動によって、この社会が平和な未来に向けての大きな一歩を踏み出したということが表現されている。

総評

全面戦争終結後の緑谷出久の戦いから、雄英高校への帰還に至るまでの一連のエピソードは、公式に「黒いヒーロー編」と呼ばれている。

その中でも「未成年の主張」は原作やアニメのファンの間で特に評価が高い一話であり、公式の製作陣からも僕のヒーローアカデミアという作品全体を通しての屈指の名場面として度々取り上げられている。

一連のシーンの中には漫画、アニメという媒体において用いられる様々な表現技法やレトリックが組み込まれており、これまでの物語の集大成であるのと同時に、結末に向けてのストーリーの方向性を決定的なものとしたという点で、大きな意義を持つ一話であったと言える。

余談

実は「未成年の主張」には明確なモチーフが存在しており、タイトルに関しては1990年代から2000年代にかけて放送されていたバラエティ番組『学校へ行こう!』の人気コーナーのひとつ「未成年の主張」に由来していると言われている。

↑イメージはだいたいこんな感じ。

コーナーの内容は、番組のメインキャストであるV6のメンバーが様々な学校を訪れ、そこに通う生徒達が学校の屋上から思い思いの本音を叫ぶといったもの。

学生ならではの面白さや感動的な名シーンも多く、番組内でも特に人気の高いコーナーの一つだった。

また「未成年の主張」のコーナータイトルそのものも、NHK1954年からスタートさせた成人の日ラジオ番組企画(かつ弁論演説の全国大会)である「青年の主張」(ラジオ第1放送番組『青年の主張』→NHK青年の主張全国コンクール。のちのNHK青春メッセージ2004年に終了)が大元のネタ。

この大元のネタは「青年成年成人)の仲間入りをした人たちに、それを記念して将来への抱負や社会の行くべき方向性を語ってもらおう」という意図の企画であるが、それが転じた「未成年の主張」の企画意図自体は「大人(青年)にならないと言いたい事(主張)を言ってはいけないなんておかしいじゃないか。そうじゃなくて子ども(未成年)だって言いたいことはいっぱいある。それを主張させてもいいだろう」というものであった。

また、それに加えてバラエティ企画としての「未成年の主張」のシチュエーションには更に元ネタとなる作品が存在しており、「学校の屋上で学生が叫ぶ」という内容は、1995年にテレビドラマ「未成年」において、主人公が屋上から自身の主張を叫ぶシーンにインスパイアされている。

ドラマ「未成年」の最終話には、主人公「ヒロ」が友人である「デク」の無実を学校の屋上から人々に訴えかけるシーンがあり、その姿には出久の無実を訴えるお茶子の姿に重なるものがある。

このタイトルは過去の作品へのパロディであるのと同時に、作中の世界に生きるお茶子や雄英生徒達が抱く大人達の社会への主張という意味も込められていると言えるだろう。

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