概要
人智を超えた特殊な「力」を持つ者達が互いに争ったり、共通の敵に立ち向かう物語群を指す。単に「能力バトル」とも言うが、こちらは広義的な意味合いが強く、「異能」を強調したい場合は本タグの方が適しているかもしれない。
バトルものの派生形ではあるが、一般的なバトルものとは異なり、キャラの能力は本人が努力して得たもの、筋力や物理や科学に由来するものではなく、生まれつきのものであったり何かのきっかけに覚醒したり他者から貰い受ける場合が多い。
また超能力など、能力の内容が本人の身体能力と密接に関係していないことが殆どであり、そのためガチムチキャラは少ない。
地道な鍛錬や修行をしなくてもわりとお手軽に能力を得られる事から現代ものとも相性が良く、一部の人々が強く憧れ、妄想をはかどらせるジャンルでもある。
(『サルでも描けるマンガ教室』で言う「現代は忍者マンガ(修行の成果)よりもエスパーマンガ(イヤボーンでOK)の方がウケる」と言う理論)
異能バトルに分類される事は少ないが『機動戦士ガンダム』のニュータイプも似たようなものである(訓練された軍人よりもニュータイプに目覚めた素人の方が強い)。
異能バトルものの定義
はじめに
敵味方問わず同じフォーマット(形式・方式)の力を持った者同士が戦うバトルものというのは前述の通りだが、加えて「ダメージソースのほとんどを能力が担っている」という特徴がある。
格ゲー的にいうと必殺技だけで勝負するような感じであって、「能力はとりあえず置いといてステゴロで勝負だ!」が成り立ってしまうのは異能バトルものとは言いがたいのである。
というのも個人固有の異能力だけでなく、異能に依らない地力の身体能力・体術・武器を扱う技術といった要素も駆使して戦う作品まで含めてしまうと、それらはざっくりと「能力バトル」と呼ぶことはできるかもしれないが、個人の主観次第でいくらでも拡大解釈できるため、バトル形式だけで細かく他ジャンルと線引きすることは不可能となってしまうためである。
また、能力の内容がキャラの個性に直結しているという作劇の文法上、多少の例外はあれど基本的に能力は個人固有のもの(才能があっても他のキャラが全く同じ能力を得ることはできない)という点も重要である。
「あるキャラAと全く同じ能力を他のキャラBも使うことができる」とか「あるキャラAが能力Cも使えるし能力DもEも使える」ということは異能バトルでは原則起こりえない(あったとしてもそれは例外でなければならない)。
さらに次項でも触れられているが、あくまでも「『異能』バトルものである」と言うからには「異能」と「技」の境界線を見極めなければならない。
簡略化してまとめるとこういうことである
- 「能力以外で相手にダメージを与えられるのが許されてる時点で、普通のバトルものと違わなくなるよね」
- 「他のキャラも特殊なアイテム使ったり修行したりすれば同じことができる? それって本当にそのキャラ固有の能力って言えるの?」
- 「固有という点で言うと、全く同じ能力が別のキャラに発現するとか、1人のキャラが当たり前のように複数の能力を使えるっていうのもアウトだね」
- 「上で挙げたようなものは異能バトルにカウントしないってことでいいんじゃないかな?」
(「複数の能力」以外はあてはまらない。まぁ同じ能力発現でも強弱(レベル1~5)があるが)
定義について考察
そもそも「異能」とは何かを深く考えだすと、実はこれがなかなか難しい。
狭義的…というか一般的には「物理的に不可能な特殊能力」のことを指し、生物的にはただの人間であるキャラが訓練や修行の末に獲得した技術に由来する特技は「異能」ではなく「技」として扱われることが多い。
しかし、創作物の中には生物的にはただの人間でも、気を練ってエネルギー弾を撃ったり、剣の一閃で大型車を両断したり、パンチの連撃で巨大な像を破壊したり、銃で一発目の銃弾で空いた穴へ一切ブレずに全弾撃ち通したり、指先ひとつで相手の肉体を内部から破壊したり、扇子からビームを撃ったり、虎を素手で撃破したり、瞬間移動のような挙動で銃弾を避けたり、崖から落とされても命を落とさずにすんだり、大量の気を放出する巨大な飛び道具で衛星のレーザーを弾いたりといったほぼ異能同然の「技」を異能に頼ることなく使用できるキャラもいるわけで、それは異能か否かという問題が出てくる。
仮に「地力で獲得した技でも、現実的に難しい・不可能なものであればそれは異能である」としてしまうと、『魁!!男塾』も『グラップラー刃牙』も『リングにかけろ』も『バーチャファイター』も『龍虎の拳』も『ドラゴンボール』も『ルパン三世』も『映画ドラえもん』も『北斗の拳』も『無双シリーズ』も『龍が如く』も『バイオハザードシリーズ』も『鉄拳』も『KOF』も、ちょっとでも現実から逸脱したバトル物は全て「異能バトルもの」になってしまうし、そうなるともはや「異能バトルものではないバトル物」を見つける方が難しくなる。
また、『NARUTO』の忍術のような現実的に見れば物理法則を無視した「異能」ではあるが、作中世界では一種の技術として体系化されている設定の能力は、果たして「異能」と呼べるのかどうかについても議論は分かれる。
何故なら、そのキャラ固有の特殊能力ではなく、他のキャラでも努力と才能次第で同じ能力が使えるようになるのであれば、それは「異能」ではなくて「技」の延長上にあるものという見方ができるためである(作劇上、そのキャラの個性を際立たせるために他に得意技とするキャラが登場しないだけ)。
一方で『HUNTERXHUNTER』の念能力のように、「基本は誰でも修得できるが、ある程度極めると完全にそのキャラ固有の特殊能力へと変化する」というものあるため、ややこしい。
『FAIRYTAIL』の魔導士のように、一人の魔法使いが一つの魔法(魔術)に完全特化しており、他に同じ魔法を使える者がいなかったりする場合は「異能バトル」の範囲内と言えるが、「一人の魔法使いが火属性魔法も雷属性魔法も召喚魔法も使え、同じく複数の魔法を使う相手と手を変え品を変え魔術戦を繰り広げる」ような作品は、もはや「技量の比べ合い」が勝負の主軸となっており、「能力の質の違い」で勝負する要素が非常に薄く、「異能バトル」と言えるかというと甚だ怪しくなってくる。
武器や装備で能力を得ているような作品でも同じことが言える。
有名な例で言えば『アイアンマン』を考えてみると判り易い。トニー・スタークはアイアンスーツを着ると空を飛んで手からビームを出すというまさに「異能」のヒーローとなるが、スーツを脱いでしまうとスペック的には「賢いだけのただの人間」であり、しかもスーツは複数存在していて他のキャラでも使用することが出来る。果たしてこれは「異能」だろうか?
トニーでなければスーツのスペックを完全に引き出すことはできないかもしれないものの、それは「スーツ(武器)を扱う技量が高い」という「技」の範疇の話である。
『BLEACH』の斬魄刀等のように「その能力を持つ武器は一つしか存在せず、特定個人の人物しか使用できない」といった設定ならばまだ「異能バトル」の範囲にあると言えるかもしれないが、他のキャラがその武器を持てば同じ能力を得ることができるとなると、「異能」とするにはやはり一考の余地はあるだろう。
作劇的には、異能≒あいまいな戦闘ルールと言ってよく、やることはなんでもやるルール無用の死闘となることはなく一種スポーツ的な戦闘描写となりがちである。異能以外の武力は無力とされることが多いが、そうでもしないと「カードバトルを挑んだ相手を拳骨で死ぬまでねじ伏せ」、「魔術使いや超能力者が魔法陣を展開した瞬間にキロ単位の距離で対物ライフルで狙撃し射殺する」「現実のように」無情なただのぶっ殺しあいとなりかねないからである。
異能バトルもののはじまり
「登場人物がそれぞれ自分の得意なスキルや能力を駆使して争う」「能力によってキャラの個性や物語上の役割を規定する」という趣向の商業作品は曲亭馬琴の椿説弓張月 (1807〜1811年発表)あたりが元祖であろうが、現代で一般的にイメージされる異能・能力バトルものの始まりは山田風太郎著の『甲賀忍法帖』(1958年発表)を代表とした忍法帖シリーズだとされている。
だが、同作品は「バトル物」と分類される漫画やアニメの始祖ともいえる存在でもあり、それ以前でも海外ではアメコミやSF小説等において異能バトルものに通底する作品も多く登場しているため、一概には言えない。
その後、1960年代になると白土三平の作品群や『甲賀忍法帖』に影響を受けた横山光輝作の『伊賀の影丸』(1961)を始めとする必殺忍法を駆使する忍者漫画の隆盛と、当時国民的な人気を誇ったプロレスの影響もあり、「名前のある必殺技(特殊能力)」の概念がより一般化。
「登場人物が何らかの必殺技を持つ」「相手の必殺技の攻略」「物語のクライマックスは必殺技同士のぶつかり合い」といったバトル物に欠かせない諸要素(これらの要素の原型自体は江戸時代の講談等の時点で既に存在してはいた)が漫画・アニメ・特撮に浸透していき、バトル物に限らずスポ根等の競争要素のあるあらゆるジャンルにまで波及していった。
そして、平井和正・石ノ森章太郎作の『幻魔大戦』(1967)や横山光輝作の『バビル2世』(1971)を嚆矢として、超能力に覚醒した少年少女達を主役に据えた「エスパーもの(超能力物)」が登場。1970年代半ば頃から1980年代にかけての当時の世間のオカルトブームも背景にエスパーものが大きく隆盛すると、「超能力者同士によるサイキックバトル」を扱った作品も数多く作られるようになり、その中で現在の日本の異能バトルものの下地が形成されていったと謂われる。
能力の応用による知的要素
一般的には『ジョジョの奇妙な冒険』(第三部のスタンド(1989))がはしりと言われている。
(一応「相手の特技・能力を手持ちの技と知恵で攻略する」という要素は、神話の時代にまで遡れるが、神話などの場合は明確な「弱点(代表例がアキレスの踵)」が設定されている事が多い)
これは『バビル2世』等に代表されるそれまでのエスパーものの様な「なんでもあり」の事態を抑制して能力の所有者の無敵化を防ぐために、技に制限があったり能力が一つしかない場合が多い。
どんな強い敵でも一芸しか無い事で、相手の能力がどのように作用するかを推理したり、能力の隙を探るなどの心理戦、知能戦が展開できるため、戦闘力の数字合戦では終わらない知的要素を演出することが出来る。
直接的な攻撃性を持たない能力であっても使いようなので、さほど問題にはならない。
(例:テレポート(厳密にはアスポート)を使い敵の体内に異物混入する)。
格下と思われていた能力者が戦略を張り巡らせ、ボスクラスの強敵に肉薄するのは異能バトルものの醍醐味である。
逆に言えば汎用性の高い能力が有利とも。
- 電気を操る能力=雷を起こす能力+電子機器を操る能力等、諸々の能力を兼ねる
- ベクトル(方向)を操る。電気の向きさえ自由自在(=電気を操る能力より強い。流石に発電は出来ないが)
- しかし唯の格闘技に過ぎない木原神拳に負けたことも。
- 自身は異能を使えないが、相手の異能も打ち消して無能力者に引き摺り落とし、異能に頼ったモヤシ野郎を殴り倒す。
- 前述した「異能者を腕力で殴り倒す」例外野郎である。
- 異能バトルではないが『大魔法峠』はこれが基本(尤もギャグ作品だが)。
もちろん、現代でもパワーゴリ押しによる勝利は多々ある。そもそも『ジョジョ第三部』自体も最終決戦は「能力が進化した」と言う形によるパワーゴリ押しである。
能力名・二つ名
能力の内容が本人の身体能力に由来しないため、異能バトルもののキャラの能力は、その外見からは推し量れないことが多い。
このため、キャラの強さを仄めかす要素として「二つ名」が付けられ、「○○(能力の様子)の××(キャラ名)」(ex.「疾風の佐藤」「炎熱の山田」とかそういうの)などで端的に設定を説明したり、能力そのものに名前を付けて特徴を示す処置等がよくとられる。
その際のネーミングは作品全体を通して「共通したセンス」で縛られることが多い。誰かの能力名がカタカナであるならば、その作品すべての能力名をカタカナで統一するという具合である。他にも熟語、漢字一文字、日本語に横文字でルビを振る……等々多岐に渡るが、それらのネーミングはその作品の雰囲気を決定づける重要なファクターの一つである。
…尤も知的バトルと考えると、二つ名を名乗ると言う事は弱点を教えるようなものだが。Fateシリーズで(FGOを除き)真名を隠しているのはそうい理由である(元ネタを調べられて得意技から弱点、性格まで全てバレてしまうため)。
関連タグ
地球なめんなファンタジー … 異能バトルに対するアンチテーゼ
外部リンク
「異能バトルもの」に分類される作品(五十音順)
あくまでも狭義的なものに限る。また、追記する場合、上述の「概要」や「異能バトルものの定義」の「はじめに」には一度きちんと目を通すこと。
それらと食い違う内容のものを追記した結果、「概要と合わないので削除」となることも普通にありえるので要注意。
また「合ってなかったら他の人が削除してくれるから、自分は何も考えずガンガン追加していけばいい」というスタンスもご勘弁願いたい。
記入前には「本当にこのリストに入れていい作品か?」「もうリストに(別名義で)入っていないか?」などきちんとご自分の目で確認していただきたい。
「異能バトルもの」と言えるかどうか微妙なラインの作品
条件付きだったり、「異能バトル要素もある」だけで作品全体としてはそうでないものを以下に記す。
- 『ブギーポップは笑わない』シリーズ (ラノベ界に現代を舞台とした学園異能ものを一大ジャンルとして定着させ、後のクリエイターにも多大な影響を与えた作品ではあるが、全体的に見ると異能バトル要素は味付け程度で、物語の骨子はSFミステリー・サスペンス色が強い)
- キン肉マン(敵は異能の力を使うが、味方はほとんど使わず作戦と根性で勝つことが多い)
- コードギアス(ギアス能力者同士による戦闘に限る。ロボットバトルの方は、スペックの高い機体とスペックの高いパイロットによる無双であることが多い)
- 地獄先生ぬ~べ~(主人公も敵も異能の力を使うが、主人公の異能の力が強すぎて駆け引きとして成立していない)
- 絶対可憐チルドレン(そもそもジャンルがSFアクションコメディとされておりバトル要素は完全なるおまけである。また複数の能力を使いこなせる「何でもあり」なキャラが複数存在していたり、能力を持たない一般人が武器を用いて戦っていたりする、この点については「異能バトルものの定義」の「能力の応用による知的要素」と「はじめに」参照)
- 月姫シリーズ(主人公である遠野志貴が絡むバトルは異能バトル風味だが、世界観自体は異能バトルとは無縁でその枠を超えた化け物が跳梁跋扈している。メインヒロイン2名がいい例であり、固有の能力など持たず種族としての体質や特注の武器を用いて戦う)
- ニンジャスレイヤー(物語の主軸となるニンジャ達は超常の身体能力を得た者達であり、中にはユニーク・ジツという個人固有の特殊能力を得る者もいるが、基本的にはカラテ(物理戦闘力)の技量が物を言う。これをノーカラテ・ノーニンジャと呼ぶ!)
- 聖闘士星矢シリーズ(ニンジャスレイヤーと同類(要は小宇宙です)。相手を遅くする敵に対し「それ以上に速く動けば良い」という脳筋理論で勝利する場面も)
- Fate/staynight(サーヴァントのスペック差や反則級のアイテムの力で乗り切っている場面が意外とあり、ルートによってはほとんど異能バトルしてないこともある)
- ブレイブルー、アンダーナイトインヴァース(一人に一つ能力がある、という異能バトルの基本は押さえているが、格ゲーなので、能力を使わなくてもバトルできてしまう)
- ONEPIECE(悪魔の実の能力バトル要素は確かにあるが、実は麦わらの一味の中で能力を活用して戦闘するメンバーは半数以下(ルフィ、ロビン、ブルックだけ)。そういう意味でキン肉マンに近いと言えるかもしれない)