嗤われる事には慣れてる! だから……
だから、私に落語を教えてください!!
CV:M・A・O
概要
『うちの師匠はしっぽがない』の主人公である化け狸の少女。
日本三大化狸が一角である淡路の芝右衛門狸の血族(末裔)にあたり、時に「十代目芝右衛門狸が一子、まめだ」と名乗る。
元は淡路島のとある集落に祖父ら同族達と暮らしていたが、小さいころに聞いた父の話から「良き古き妖狸らしく人間を化かしたい」と夢を抱き、周囲に反対・嘲笑され続けても諦めなかった。
因みに化け狸として故郷にいた頃は、医者の家に生まれた人間の子供と既知の間柄であったらしい。
単なる使者として大阪へと渡った際、そのまま帰らずにイタズラを開始。
しかし外界は既に大正の世。文明の発達した人間社会には着いていけず、逆に駆除されかけ途方に暮れていた中で大黒亭文狐の落語を聞き、感銘を受ける。
そのすぐ後、紆余曲折あって彼女に弟子入りし、落語家への道を進むことになる。
好奇心旺盛な性格で、明朗快活だが、根は打たれ弱くてドジっ子。
しょっちゅう泣き言を垂れたりへまをしては文狐に怒られている。みずからの実力を把握しないまま、威勢と気風だけでトラブルを巻き起こすトラブルメーカーでもある。
普段は茶髪で長髪の町娘の姿に化けている。しかし疲労で集中力が切れたり眠ったりしてしまうと変化が解けて狸に戻ってしまう(化け妖怪の師でもある文狐の指導により、徐々に人間態のまま眠れるぐらいにはなってきていたが)。
師からは「狸であることがバレたら破門」と言いつけられているが、化ける力はまだまだ未熟であるため、これに関しては師匠の文狐より厳しく仕込まれる羽目になった。
文狐の弟子として「大黒亭まめだ」を名乗ることもあるが、実は業界的に許されない高座名であることがのちに明らかとなった。
しかし後に業界を仕切る「上方落語四天王」の試練を経て、暫定的(様子見)ながらも文狐の弟子として認められ大黒亭の名乗りを許された。
家族
母はまめだを生んでほどなく産後の肥立ちが思わしからず、そのまま他界してしまっている。また冒頭に述べた父も幼い頃に死去している。
同族や祖父からは父の死は「時代の流れを見極められず、調子に乗ったあげくの愚かな死」だと教えられていたが、後に「野犬に殺されかけた子どものために無茶を承知で立ち向かい、無事助けられた代わりに命を落とした」という名誉の死であった事が判明している。
父が都会に出たのも本来は「人間を化かしたいから」ではなく「勢いの増す人の世で化け狸が後顧の憂(愁)い無く、堂々と過ごし生きる事のできる場所を創るため」であった。まめだの父は「十代目芝右衛門」の名に恥じぬ、一門総領の行く末を真面目に考え、狸も人も同じ世に生きる者として共に幸せにするための志を立てて大事業に取り組もうとした、とても立派な化け狸だったのである。
しかし同族(特に長老)としては、親の死を名誉の死としてしまう事で、ただでさえ父を思慕しているまめだが同じ道を辿り、あたら自ら死に向かってしまう事を危惧した。
「遺されたまめだだけは、なんとしても生かして(のちには立派な婿を取らせて)穏やかで幸せな狸生を送らせてやりたい」
その思いが募った結果が上述の教育であったが、それは結局まめだの父「十代目芝右衛門」の名誉を堕す事となり、また、その分まめだは同年代の同族内では肩身の狭い思いをする事になった。
地獄巡りの試練
のちにその事実を持って訪問した祖父から、都会の中で暮らしていては妖力が減って最後には衰弱死に至る事を知らされてしまう。そのため冥界にいる伝説の化け狸・伊予の佐衛門狸の試練を受けるため地獄巡りをする羽目となった。
この時、賽の河原で父と巡り会う。まめだの父は賽の河原に保育園を建て、その園長となっていた。父はまめだが賽の河原にやってきた(≒死んだ)ことにショックを受けて寝込んでしまったが、すぐに事情を聞いてまめだを現世に帰すために大奮闘。最後の最後、まめだを迎えに来た文狐に「お師匠様、どうか愛娘をよろしくお願いします」と親として痛切な涙を流して、まめだの今後を文狐に託した。
結果的に地獄巡りの果てに佐衛門狸より認められ、その証として「狸の金印」を与えられる。以降は、葉っぱに変えた狸の金印から妖力を得ている。
余談
上方落語には「まめだ」という子狸を主人公とした演目がある。
ただし、昭和に作られた新作落語の演目のため、大正時代を舞台とした本作では触れられないが。
なお、文狐の正体である七度狐も落語の演目と同名である。