アンディ・サマーズ
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あんでぃさまーず
イングランド出身のギタリスト。1960年代より息の長い活動を続けている。
- 1942年12月31日、ポルトン・ラ・フィルド(ランカシャー州)で誕生。
- 1945年、家族とともにボーンマス(ハンプシャー州。現在はドーセット州)に転居。クラシック・ピアノを習う。
- 1953年、クラシック・ギターを習う。
- 1956年、ロンドンでセロニアス・モンクとディジー・ガレスピーのステージを見て、ジャズ・ギターを弾き始める。地元のクラブで演奏。
- 1963年、ボーンマス・マジェスティック・ホテル専属のジャズ・バンドで演奏していたが、バンマスと仲が悪くなり退団(後任はロバート・フリップ)。友人のズート・マネーと共にロンドンに上京。ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドのメンバーとなる。
- 1967年、ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドが解散。コリン・アレンと共にダンタリアンズ・チャリオットに加入した。
- 1968年、ダンタリアンズ・チャリオットが解散。ロバート・ワイアットから勧誘され、デヴィッド・アレンの後任としてソフト・マシーンに加入。しかし、ケヴィン・エアーズがキーボード・トリオで活動していくことを主張し、クビになる。ズート・マネーの伝手でエリック・バードン・アンド・ジ・アニマルズに加入し、アルバム『ラヴ・イズ』のレコーディングに参加。アニマルズは日本公演に行くが興行主はヤクザで、マネージャーが拉致監禁されて250,000ドルの借用書に署名させられ、すぐに日本から出て行かなければメンバーも殺すと脅されたため命からがらアメリカへ帰国。アニマルズも解散となった。サマーズは活動を休止し、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校に入学。
- 1972年、アメリカ人のガールフレンドと共にイギリスに帰国。セッション・ミュージシャンとして活動。
- 1976年、「チューブラーベルズ」(マイク・オールドフィールド)を管弦楽団用に編曲した「ジ・オーケストラル・チューブラー・ベルズ」がニューカッスル・アポン・タイン(タイン・アンド・ウィア州)で演奏され、ニューカッスル交響楽団と共演した。地元のバンド、ラスト・イグジットが幕間に出演したが、スティングがメンバーだった。ケヴィン・エアーズ・バンドのメンバーとして再びニューカッスルを訪れるが、カーヴド・エアにいたスチュワート・コープランドと知り合う。
- 1977年、元ゴングのマイク・ハウレットが詩人レディ・ジューンのパーティーで演奏するメンバーとしてサマーズを勧誘したが、このグループにはコープランドとスティングがいた。コープランドとスティングはポリスにも参加していたが、ギタリストのヘンリー・パドゥヴァーニが下手なのでサマーズを加入させる(その後、パドゥヴァーニは脱退)。マイク・ハウレットのグループはストロンチウム90、ジ・エレベーターズに発展したが、ポリスの3人が抜けたため解散。
- 1978年、ポリスがA&Mレコードから1st.アルバム「アウトランドス・ダムール」でデビュー。シングル「ロクサーヌ」がヒットして人気バンドとなった。サマーズも年寄り扱いされないよう若作りするなど気合を入れ(当時35歳)、コーラス・ペダルを多用した独特のギター・サウンドでバンドに貢献した。
- 1979年、コープランドの兄マイルズ・コープランドⅢ世がA&Mレコードの協力でI.R.S.レコードを設立し、ポリスを移籍させた。
- 1982年、ロバート・フリップとの共作アルバム「心象表現」を発売。
- 1983年、ポリスのアルバム「シンクロニシティー」がビルボード200で17週連続1位。シングル「見つめていたい」もビルボードHot100で8週連続1位。
- 1984年、ポリスは1月に活動停止を宣言。
- 1987年、ソロ・アルバム「XYZ」を発表。
- 2007年、ポリスがデビュー30周年を記念し、再結成。
その後も多くのミュージシャンとのコラボ、テレビ番組や映画の音楽提供、ギター教本のビデオ制作などを行っている。
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