曖昧さ回避
概要
1941年誕生。製造はセントルイス・カー・カンパニー(セントルイス車輛製造)。
ノースショアー線が増収策として登場させた軽量構造の4車体連接車である。
当時のアメリカの電車技術としては最新鋭の技術だったWN駆動方式とHSC(電磁直通)ブレーキを採用した画期的な車両であり、サービス面においても冷暖房完備・回転クロスシート装備と同線自慢の車輌であった。形式は800形と称し、2車体1ユニットを1両と扱っているため
編成の前半分が801号、後ろ半分が802号という風に番号を与えていた。
最高速度は144km/hと当時のインターアーバンの中でも俊足であった。
801・803号の中間車体側はタヴァーン・ラウンジ(タヴァーンとは酒場という意味)と呼ばれるビュッフェ車両が連結され、
「エレクトロバーガー」と呼ばれるハンバーガーが供されたという。
1963年のノースショアー線廃止とともにエレクトロライナーもその使命を終えるのであるが、
同線の電車としては最も新しい車輛であったため2編成ともフィラデルフィア・サブアーバン・トランスポーテーション(レッド・アロー・ラインズ)へと売却された。
リバティーライナー
かくして、フィラデルフィアはノリスタウン線に渡った同車はトロリーポール撤去、出入口ステップ切り上げ、
中間車のうち一般座席車へのドア新設、塗装変更を経て「リバティーライナー」と命名された。
第1編成(801・802)には「バレー・フォージ」、第2編成(803・804)には「インディペンデンス・ホール」という
車輌愛称が与えられた。
タヴァーン・ラウンジでは朝は朝食を、夕方から夜にかけては酒やおつまみなどを提供していたが、
時代が下るとともにノリスタウン線は公営化され、通勤路線としての様相を呈するようになり、
1976年には客層の変化による利用者減と老朽化によって新車に置き換えられ、2編成とも廃車となった。
801・802はイリノイ州のイリノイ鉄道博物館に保存、エレクトロライナーとしての登場当時の姿に復元されている。
一方の803・804はペンシルベニア州のロックヒル・トロリー博物館に保存されているがこちらは引退当時の「リバティーライナー」の姿である。
影響
この電車はしばしば日本の鉄道ファンの間でも引き合いに出される。
というのも、WN駆動やHSCブレーキといったメカニズムや全車両空調完備といったサービスレベルの高さは
1950年代末から1960年代にかけての日本の電車(特に私鉄電車)がこぞって導入した技術そのものであり、
そういった意味においては日本の電車史上にも大きな影響を与えたといえる電車なのだ。
特に小田急電鉄のロマンスカー・SE車こと初代3000形はこの影響を強く受けたといわれており、
駆動方式こそ中空軸並行カルダンとやや異なるうえに当初は非冷房だったものの、
軽量構造・連接方式・新駆動方式などといった特徴はまさしく「和製エレクトロライナー」と呼べるものであろう。