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オディロン・ルドン

おでぃろんるどん

19世紀末から20世紀初頭にかけて活動したフランス人画家で、幻想的で不気味な独自の作風の絵画を描き続けた。メイン画像は代表作『キュクロプス』『眼=気球』をモチーフにしたファンアート。
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概要編集

1840年4月20日(もしくは4月22日)に、南フランスのボルドーの裕福な家庭で生まれる。

しかし、生後2日目で近郊の田舎町ペイル=ルバードに里子に出され、11歳まで寂しい思いをしたために、ルドンは内向的で病弱な少年であったという。


そのころから絵を描き始めていたが、父親の意向で呼び戻され、建築家になるためエコール・デ・ボザール(美術高等学校)を受験するが合格出来ずに画家を目指すことになった。


20歳の頃に植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い顕微鏡下の世界に魅了され、このとき学んだ植物学は後の作風に大きく影響を与えたといわれている。


その後オリエントをテーマにした絵画を得意とするパリの画家ジャン=レオン・ジェロームのもとに入門するが数ヶ月で辞め、ボヘミアン画家といわれていた銅版画家ロドルフ・ブレダンから版画の技法を、アンリ・ファンタン=ラトゥールにリトグラフの指導を受け技術を磨き、普仏戦争従軍後にパリに定住して作品制作を始めた。


1879年には当時の生理学者や科学者が注視していた夢や無意識をテーマにして、目玉や断頭などの不穏なモチーフの作品群が頻出する初の石版画集『夢の中で』を発表した。


1882年にル・ゴーロワ新聞社で個展を開催したことにより、デカダン派作家ユイマンスたちに注目されるようになり、2番目の石版画集『エドガー・ポーに』を発表。


長男ジャンが生後半年で亡くなり、陰鬱な作品ばかりが制作されるようになったが、次男アリが生まれてからは明るい作風にシフトしていき、油彩水彩パステルを用いた色彩にあふれる作品を発表するようになった。


晩年は評価を不動のものにしたが、第一次世界大戦に招集されたアリが行方不明になり、各地を探し回るうちにインフルエンザに感染し、1916年7月6日に亡くなった。

享年76歳。


なお本名はベルトラン=ジャン・ルドンで、「オディロン」は母マリーの通称「オディーユ」から採られた愛称であるが、ルドン本人はこの名を好んでおり終生用いていた。


関連イラスト編集

絶望感を感じさせる作品が多いが、どこか愛嬌のある表情の作品も発表されている。

博麗霊夢キュクロプスルドン模写ルドン


関連タグ編集

画家 版画 ルドン

眼=気球 笑う蜘蛛 醜いポリプ キュクロプス

幻想 植物  気球 蜘蛛 キリスト 仏陀


悪の華 バックベアード

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