キモティカ
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きもてぃか
それは古代に栄えた都市の名前。忘れられた土地・・・
今からおよそ8100年ほど前に現在のツッパリガミア地方スィモキタザーバ周辺で栄えたとされる都市の名前。当時を彷彿とさせるものが一切残っておらず、跡地とされる場所が「キモティ=ダロ」と呼ばれていること以外、キモティカが存在したという証拠はない。
邪神キビティットを崇拝し、上半身の大きさが美と考えられ、像は上半身に対して下半身が小さすぎるコレマジ様式で作られている。また生贄の習慣があり、芸術品に仕立て上げられた生贄が多数発掘されている。
聖バビロン学院大学考古学部が遺跡を発掘調査したところ、最盛期には人口が114514人居たが、あることをきっかけに住民の間で男色が流行り、子供が生まれなくなってしまったために滅んだという調査結果が出た。
なお、紀元前6000年頃に人口11万人の都市はその当時からすれば恐ろしいレベルである。なぜなら11万人の人口を支えるためにその10倍以上(少なくとも110万人)の農業労働者が居ないと成り立たないとされるからだ。この当時の世界の人口はおよそ500万人ほどだったのでおよそ5人に1人はキモティカに住んでいたと推定できる。たまげたなぁ・・・
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