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キ98

ききゅうじゅうはち

キ98は太平洋戦争中に満州飛行機が計画した局地戦闘機。
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キ65編集

昭和17(1942)年1月に日本海軍の十四試局地戦闘機雷電の陸軍版であるキ65の試作計画が開始。陸軍航空技術研究所と陸軍航空工廠が設計し生産は当時新興メーカーだった満州飛行機が行う予定であった(名前に反して設計部門は内地に置かれた)。

九九式軍偵察機の改良型であるキ71の設計実績がある満州飛行機は独自設計を望み、国立に研究部分室を設けて技術者を送り込み、陸軍も研修等で満州飛行機を支援した。内地で実績を積み、満州現地の工場で生産するというのが方針であった。

キ65は試作中の三菱の新型大馬力発動機「A20」(後にハ211の代用名称を得る)の選定を視野に入れたが、発動機の完成の遅延が見込まれたため次第に計画は尻すぼみになっていった。

キ98編集

計画が危ぶまれる中、陸軍は海軍が推進式の十七試局地戦闘機「閃電」の試作発注を知りこれに興味を抱いた陸軍は海軍技術を転用した新計画を開始した。設計、生産担当は満州飛行機という同社初のオリジナル試作戦闘機である。

当然、一から開発するノウハウもなかったため海軍と三菱の技術情報を受けて計画が始まった。

形態は閃電に酷似しており、四枚プロペラが推進式に配置され武装は機首に集中配置された。推進式で問題になる「脱出時にプロペラに巻き込まれる」欠点については前脚格納部分から下方へ脱出する形式が提案された。


昭和18(1943)年1月に試作契約を百万円で受注し設計開始。第一次実大模型審査を同年末、第二次実大模型審査は翌年9月頃に行われた。昭和18年に技術者の育成が完了したとして研究部分室が廃止になり、翌年に設計陣が風洞実験に当たる少数を残し満州に移ったため、機体製作は奉天の工場で進められた。

しかし戦局悪化に伴い昭和19年10月の試作機種整理で計画は正式に中止と判断されてしまう。満州飛行機には大東亜決戦機として期待された四式戦闘機「疾風」の転換生産命令が下され、もはやキ98を手掛ける余裕は残されていなかった。

更にB-29の爆撃で工場疎開の混乱が起きたが、それでも機体製作は続行されたという。

搭載するハ211ル発動機は現地に到着し、終戦当時は主翼尾翼が完成、胴体が未完成の状態だった。しかし、満州に侵攻するソ連の鹵獲を避けるため処分された。

機体編集

全長:11.40m

全幅:11.26m

全備重量:4500kg

最大速度:730km/h

航続距離:2.25時間(500km/hで巡航時)

武装:37mm機関砲×1、20mm機関砲×2

乗員:1名

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戦闘機 日本陸軍 局地戦闘機

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