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天道までの概要

信長の野望には君主に対する義理という数値があり、この値が高いほど寝返り難く、低いほど寝返りやすくなる。

主に、史実において主君に殉じたり、主君の為に尽くした武将は高く設定され、裏切り・暗殺・だまし討ちなどの卑劣な行為や、謀略・策略などで人を騙したりすることを多く行った武将は低く設定されており、その最たる者が義理値1の武将、つまりギリワンなのである。

ギリワン武将一覧

いわずと知れた天下の大悪人にしてギリワンの代名詞的人物。

将軍暗殺・東大寺焼き討ちなど凄まじい行いをした「世界のギリワン」。

戦国時代の下克上の第一人者。油売りから身を立て、ひいきにしてくれた重臣を殺して家名をのっとり、最後は前国主を追放して美濃一国を手に入れた姦雄。

一生の内、主君を7度も変え、主君を7度変えねば武士とは言えぬと言った。

他3人と比べると非常にマイナーだが関ヶ原の戦い東軍から西軍に裏切った。

補足

上記三名のうち、藤堂高虎に関してはギリワンであることが不当だという評価を下す人も多い。

現代人の我々からして見れば想像もつかないが、戦国乱世においては

謀反・出奔なんてのはされる方が悪い。されて困るなら優遇して飼い慣らすなりとっとと斬るなりしろ。

というのは常識であり、自分が本当に仕えるべき主君を求めて二転三転とした武将も決して少なくはないが小山田信茂のように裏切者として処断される場合もあった。

また、

  1. 浅井長政から初陣の恩賞として授けられた刀と黄金一枚を浅井家滅亡後も肌身離さず持ち歩いていた。
  2. かつての主である津田信澄が本能寺の変後に謀殺された際、妻子を保護。
  3. 羽柴秀長に仕えた時は、彼の息子が死去して家が断絶するまで仕えた。その後出家。

などというエピソードからも、彼が不忠者だったというのは非常に疑わしい。

しかし主君豊臣秀吉が亡くなると直ぐに家康に接近、加藤清正福島正則といった武断派に先んじて真っ先に家康側に付く。そして関ヶ原の戦いに際しては小川祐忠朽木元綱赤座直保らに寝返りを助長させていることが大きく評価されている為かギリワンとなってしまっている(ただし、この行為自体は「ギリギリになって態度を変える者など決して信用されぬ。するなら初めから態度を一貫せよ」という思想ゆえにである。現に関ヶ原本戦ギリギリで寝返った赤座・小川は改易、朽木も所領の半分を没収されている)。

また、主君を8回も変えた笹の才蔵こと可児才蔵や、武田滅亡後、たった3年の間(本能寺の変後、甲斐・信濃を巡って、徳川北条上杉が争う天正壬午の乱)に時勢に合わせて独立小名→織田→北条→徳川→上杉→豊臣と陣営を変えまくった真田昌幸も多数主君を変えているが。可児才蔵は武勇の誉れもあり、また移転先に元敵対勢力も含まれるが、多くは織田家家臣団の有力者の間を移動した為か義理値を低めに設定されては居るがギリワンほどではなく、真田昌幸は真田の家名と領土を守るために、まだ最初に仕えた武田家や最後に仕えた豊臣家に対する強い忠節が評価されている為か、義理が最高値に設定されがちな息子に合わせたのか、義理値は中ぐらいの高さに設定されている。また真田昌幸を指して「表裏比興の者」というが、当事としては批評ではなく、むしろ老獪で手ごわいといった評価であった。

創造からの概要

そんなギリワン業界に大変革が訪れる。なんと信長の野望創造では、これまでギリワンと呼ばれた面々の義理は15に設定され、この値が低い程義理硬いと言う事になった。

まさか上杉謙信山中幸盛高橋紹運がギリワンになるとは・・・

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