概要
史実での接点は無いが、お互い絵師が同じでドイツ艦ある事や金髪巨乳である事が共通している。
また、名前元が人物に由来するものとなっている。
時報についてはグラーフが再会を喜んでいるが、ビスマルクからは特にない。
(ただ、扶桑の艦橋を見に行こうとビスマルクに誘われている。グラーフは断っているが・・・)
また、建造中止および沈没で二人とも日米戦を知らない。
(一応グラーフは戦後まで船の形をとどめてはいる)
また、アークロイヤルの時報にてアークが沈めた張本人であるビスマルクは当然逃走しているが
しつこく迫るアークに対し直掩機を出している(出させている)が
同じドイツ艦(人)であるためか出したのはグラーフと思われている。
名前の余談
前述したように二人とも・・・というか日本以外の国は人物名を使用する事が多かった。(米や英)
それは日本の場合明治天皇が人名使用を嫌ったためだが
ビスマルクは「オットー・フォン・ビスマルク」から、グラーフ・ツェッペリンはツェッペリン伯爵からとられている。
ビスマルクはドイツ首相であるため爵位はあり、侯爵である(爵位の二番目、伯爵は三番目)
そのため、あえて爵位で書くと「フュルスト(侯爵または公爵)・ビスマルク」となる。
グラーフの場合、グラーフ自体が爵位の「伯爵」であるためツェッペリンが本来なら名前である。
ただ、戦国武将の事を「加賀守」とか官位名で呼ぶように爵位呼びは結構使われていたという。
また、辺境伯と帝国伯があり、○○(相当する単語)グラーフと呼ばれる。