概要
1148年生~1237年没
元はフランス王国に仕えていたが60歳の時にフランス王フィリップ2世の命令にてシリアのキリスト教勢力の救援に赴いた。そして1210年にエルサレム王女マリーと結婚してエルサレム王となる。
その後は第5回十字軍に参加して主要な将としてエジプトまで攻め込んだが芳しい結果は得られなかった。娘を神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に嫁がせるも約束してあったエルサレム王の地位はフリードリヒのエルサレム王即位で失う事になり、1228年のフリードリヒ2世による第6回十字軍においては反フリードリヒ2世であった教皇側と手を結び南イタリアに攻め込んだが失敗しラテン帝国へと逃れた。
1229年にラテン帝国摂政を務め、1231年からは年少の婿でもある皇帝ボードワン2世を補佐する為に共同のラテン皇帝となり90歳で亡くなるまで帝国の防衛に務めた。
関連人物
- マリー・ド・モンフェラート
記録上では最初の妻。
すなわちジャンは62歳で初婚となる。
間に一人娘のイザベル2世が生まれるが産褥にて亡くなる。
- ステファニア
二番目の妻。アルメニア王の娘。
ジャンはアルメニア王位を望んでいたが彼女の死で果たせなかった。
- ベレンガリア
三番目の妻。イベリアのレオン王アルフォンソ9世の娘。
- イザベル2世
エルサレム女王。
マリー・ド・モンフェラートとの娘で神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と結婚する。
- マリー・ド・ブリエンヌ
ベレンガリアとの間に生まれた娘。
ラテン帝国皇帝ボードワン2世と結婚する。