ジョン・ケージ
じょんけーじ
1912年9月5日にアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。
父は発明家で母方の叔父と叔母に音楽家がいた。
父は1912年に潜水艦を開発し当時の世界記録を更新したが、ガソリンエンジンを搭載していたことから軍では採用されなかった。
1930年頃から作曲活動を始めたとされる。
アルノルト・シェーンベルクに師事し、南カリフォルニア大学のシェーンベルクのクラスで学ぶ。「音楽を書くためには和声の感覚を持たなければならない」と告げられ、和声の感覚を持っていないと答えるとシェーンベルクは「それは君にとって音楽を続けることの障害となるだろう。ちょうど通り抜けることのできない壁に突き当たるようなものだ」と伝えた。
するとケージは「それなら私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」と答えたという。
初期の作品はシェーンベルク作品を継承するような音列処理やリズム処理の作品が多数を占めたが、1938年にグランドピアノの弦に異物を詰めたプリペアド・ピアノを用いた『バッカナル』を発表。アイデア最優先の発明作品が増え、居間にあるものを叩いて音楽を作る『居間の音楽』、ピアノのふたを閉めて声楽を伴奏する『18回目の春を迎えた陽気な未亡人』などを手掛ける。
1951年にハーバード大学で無響室を体験。体内からの音を聞き沈黙を作ろうとしてもできないと考えるようになる。
貨幣を投げて音を決める『易の音楽』など不確定性の音楽へと進み、通常の演奏を一切行わない『4分33秒』などを生み出した。
ちなみに1962年にはより短い『0分00秒』も発表している。この『0分00秒』は日本で初公演された。
1970年代には日本との思想的・精神的なかかわりが強調された『Haikai・IとII』、『RENGA』などを発表。
1980年代には様々な奏者によって演奏される『龍安寺』、史上最長の演奏時間(事実上無限)を誇る『オルガン²/ASLSP』などを発表する。
晩年には楽器または奏者の数のみをタイトルに記した『ナンバー・ピース』と呼ばれる作品を手掛ける。ピアノ独奏『One』、アンサンブル『Seven』、『Eight』、大人数の『101』、『103』、『108』、カメラマンが主役の『One11』などがある。
1989年には京都賞思想・芸術部門を授けられるが、正装はしないと言い張り関係者の間でトラブルになり、最終的にはスタッフの「日本の伝統衣装なら」というアドバイスに好感を抱き羽織袴で出席した。
晩年にはチャンス・オペレーションを用いた展覧会『ローリーホーリーオーバーサーカス』を構想していたが、1992年8月12日にニューヨークで脳溢血のため死去。
展覧会は死後1993年に実現し、日本では1994年から1995年にかけて水戸芸術館で開催された。