SUZUKIが初めて生産した4輪自動車で、軽自動車としては初の量産型でもある。2008年には「その後の軽自動車のあり方を示唆、歴史に残る名車」として日本自動車殿堂歴史車にも選ばれている。
なお「スズライト」の由来は社名の「スズキ」と英語名で「軽い」を意味するLight(ライト)を掛け合わせた造語である。
開発までの経緯
鈴木自動車工業の前身は1909年に鈴木道雄が静岡県で創業した鈴木織機で、元々は自動織機の製造・販売を手掛けるメーカーだった。しかし、織機のみでは需要が頭打ちになることを懸念した社長の鈴木道雄は自動車産業への進出を計画、1936年にイギリスのオースチン・セブンを購入して研究に着手、試作車数台を完成させたが、日中戦争の激化で乗用車の生産計画は断念せざるを得なかった。
戦後、織機メーカーとして再出発を遂げたが、織機の需要が頭打ちとなり、経営不振となった。そのため、自転車用補助エンジンの開発に着手、1952年に「パワー・フリー」「ダイヤモンドフリー」を発売した。また1954年には小型バイク「コレダ」号を発売、オートバイメーカーとしての地歩を着実に固めていき、同年6月には社名を「鈴木自動車工業」に改めた。
当時、社内ではオートバイメーカーとして成功を収めつつあるのだから、リスクを踏まえてまで自動車製造に乗り出す必要はないという意見が強かったが、社長の鈴木道雄は戦前に断念した自動車製造を実現させるべく、社内に「4輪研究室」を設置、少人数の技術者を配置し、研究にあたらせた。
開発に際しては、フォルクスワーゲン・ビートル、シトロエン・2CV、ロイトLP400、ルノー・4CVを購入し、分析検討を行い、最終的に2気筒・横置きエンジンでFF式(前エンジン・前輪駆動)のロイトLP400をモデルに開発を行うこととなった。
さっそく、ロイトLP400を分解組み立てして分析し、1954年9月には試作車1号が完成、10月には2号車が完成。浜松周辺の公道で試験走行を行なって問題点を洗い出した。社長の鈴木道雄は当時の日本において数少ない自動車の有識者でもあったヤナセ社長の梁瀬次郎に判定を仰ぐべく、試作車2台で浜松からヤナセ本社がある東京は芝浦までの試験走行を行なった。
当時の日本における道路事情は非常に悪く、試験走行ルートだった国道1号も未舗装区間が多く、そのうえ当時の国産車には難関だった箱根峠も越えなければならなかったが、何とか乗り切り、芝浦に到着。梁瀬社長は自らスズライトのハンドルを握って会社周辺を自走した上で、好意的な評価をした。これに自信を強めたスズキは試作車をベースに開発を進めて1955年10月にスズライトを発売した。
車種
発売当初、スズライトにはセダン・ライトバン・ピックアップの3種類が用意され、価格はそれぞれ42万円、39万円、37万円でダットサンの75万円よりは安価だったが、大卒初任給が6000円未満だった当時では簡単に手が出る代物ではなく、1958年にはライトバンに一本化された。
1959年には商用車としてのスズライト・バンTLがお目見え、1963年にはスズライト・バンFE、1965年にはスズライト・バンFEⅡがお目見えしたが、1968年に発売終了した。