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ターントゥ

たーんとぅ

アイルランド生産・アメリカ調教の競走馬・種牡馬。ロイヤルチャージャーの代表的な後継種牡馬の一頭。
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概要編集

アイルランド生産・アメリカ調教の競走馬種牡馬

主な勝ち鞍はサラトガスペシャルステークスガーデンステイトステークスフラミンゴステークスなど。

故障により3歳半ばで引退したが、種牡馬として成功した。


プロフィール編集


略歴編集

1951年

アイルランドでE・R・ミヴィル少佐とG・L・ヘイスティングス夫人により生産された。

父は大種牡馬のロイヤルチャージャーで、アメリカへ輸出される前の産駒だった。母のソースサクリーはフランスで競走生活を送り4戦1勝だった。母父のアドミラルドレイクはフランス生産で1955年のフランスのリーディングサイアーになっている。

素晴らしい馬体の持ち主だったが脚部不安を抱え、気性にはやや難があった。


1952年

アメリカへ輸出されてキーンランドセールに出品され、ハリー・フランク・グッゲンハイム大尉により2万ドルで購入された。大尉が代表を務めるケイン・ホイ・ステーブルの所有となる。専属のエディ・C・ヘイワード調教師により調教が積まれた。


1953年

8月、サラトガスペシャルステークスでは2着入線だったが、ポーターハウスの降着による繰り上がりで勝利。

9月、ホープフルステークスアルティズモの3着に敗れた。

11月、ガーデンステートステークスで1着。


1954年

3月、フラミンゴステークスで1着。ケンタッキーダービーの有力馬とされるが、直前で骨折により引退となる。


1955年

クレイボーンファームケンタッキー州)で種牡馬入りしたが、クレイボーンファームのアーサー・ブル・ハンコックとグッゲンハイム大尉が対立し、スペンドスリフトファーム(ケンタッキー州)に移動した。


1958年

初年度産駒のファーストランディングが活躍し、北米2歳リーディングサイアーとなる。


1973年

死去(22歳)。


主な産駒編集

ファーストランディング ヘイルトゥリーズン サーゲイロード フリットトゥ キャプテンズギグ


関連タグ編集

競走馬 種牡馬 54世代

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