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概要

艦級名の「ツェサレーヴィチ」はロシア皇帝の世襲皇太子の称号。

20世紀初頭、太平洋艦隊に配備されていたロシア帝国海軍の戦艦は12インチ砲搭載のペトロパブロフスク級戦艦を除けば新鋭とはいえ10インチ砲のペレスヴェート級戦艦であった。

しかし、大日本帝国海軍が相次いで12インチ砲艦を購入し増強したため、ロシア帝国海軍もアメリカからレトヴィザン、フランスからツェサレーヴィチを購入、配属されたはツェサレーヴィチはレトヴィザンと共に太平洋艦隊最優秀艦と評された。

ツェサレーヴィチはフランスからライセンス生産の許可を得たため、これをベースにボロジノ級戦艦が設計・建造された。

非常に高い乾舷の長船首楼型船体で、水線部上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り重量を軽減する、タンブル・ホーム型船体となっている。

片舷に12インチ砲4門、6インチ砲6門、75ミリ砲10門を指向できる。

1903年、ロシア帝国海軍に就役。太平洋艦隊に所属。

1904年、日露戦争ペトロパブロフスク沈没後は太平洋艦隊司令官代理ヴィリゲリム・ヴィトゲフト少将の旗艦を務め、黄海海戦に参加。露天艦橋への命中弾でヴィトゲフト少将をはじめ艦隊首脳部が壊滅して指揮系統を失った艦隊が混乱し四散するなか、本艦は中立国であるドイツの植民地青島に逃げ込み武装解除された。この時、多数の命中弾を受けたものの日本海軍の砲弾で本艦の主要部を貫通したものは無く、その防御力の優秀さを示した。

1906年、ロシアに返還。バルチック艦隊に配属された。

1914年より始まった第一次世界大戦に参加。

1917年、ロシア革命により、艦名がグラジュダニーン(市民)に変更される。

1922年、除籍。

性能諸元

排水量13,100t
全長118.5m
全幅23.2m
吃水7.6m
機関ベルヴィール式石炭専焼水管缶×20基+直立型三段膨張式レシプロ蒸気機関×2基2軸
最大出力16,500hp
最大速力18.7kt
航続距離10kt/5,500浬
武装1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1892年式45口径152mm連装速射砲塔×6基、1892年式50口径75mm単装速射砲×20門、オチキスQF 43.5口径47mm単装速射砲×20門、オチキス23口径37mm5連装ガトリング砲×8基、パラノフスキー 19口径63.5mm単装砲×2門、マキシム 7.62mm機銃×4挺、38.1cm水上魚雷発射管×2基、38.1cm水中魚雷発射管×2基、衝角
乗員士官28名、水兵738名

前級:ペレスヴェート級戦艦

次級:ボロジノ級戦艦

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