概要
1096年~1099年に行われた第1回十字軍により参加したヨーロッパ諸侯は占領した聖地エルサレムを始めシリア各地にキリスト教勢力である十字軍国家を築き上げた。
以後は十字軍国家とシリアに勢力を持つイスラム勢力が激しい抗争を繰り広げるようになり、12世紀後半はアイユーブ朝の初代スルタンであるサラディンがイスラム勢力の中心となった。
1187年に入るとサラディンは3月に聖戦を宣言して5月1日にはクレッソン泉の戦いで聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団の連合軍を撃破し、7月に入るとサラディン率いる軍がシリアのガリラヤ湖西部のティベリアを攻略し、その救援としてエルサレム王国や十字軍国家、騎士修道会による十字軍がティベリアに駆けつける事になる。7月3日に交戦が始まりサラディンの巧みなゲリラ戦術によって十字軍は疲弊し翌7月4日に飲み水の確保の為にティベリア近郊のヒッティーンの丘の泉へと向かった。
しかし、待ち受けていたサラディンの伏兵によって軍勢は散々に打ち破られて多くの有力諸侯が捕虜となった。
結末
この戦いによりシリアにおけるパワーバランスはイスラム勢力に大きく傾き、十字軍国家の主要都市は次々と攻略され1187年10月2日には遂に聖地エルサレムが占領された。
これによるヨーロッパ側の衝撃は大きく、第3回十字軍へと繋がる事に成る。
関連人物
イスラム勢力
- サラディン(1137年or1138年~1193年)
アイユーブ朝初代スルタン。
- タギアッディーン・ウマル(?~1191年)
サラディンの甥。
アイユーブ朝の有力武将。
キリスト教勢力
- ギー・ド・リュジニャン(1159年~1194年)
エルサレム王。
捕虜となるがサラディンには丁重に扱われた。
- レーモン3世(1140年~1187年)
トリポリ伯。
逃亡に成功したが程なくして没した。
- バリアン・オブ・イベリン(1143年~1193年)
エルサレム王国の重臣。
撤退に成功にてエルサレム防衛を担った。
- ルノー・ド・シャティヨン(1125年頃~1187年)
元アンティオキア公。
「強盗騎士」の悪名を持ちこれまで紅海での海賊行為やイスラムの巡礼者を襲撃する等でイスラム側からは憎まれており、味方であるキリスト教徒の一部にも疎まれていた。
戦いにて捕虜となり処刑された(事前にルノーを討つと宣言していたサラディン直々に斬首したとも伝えられる)。
- ジェラール・ド・リドフォール(?~1189年)
テンプル騎士団総長。
敗戦にて捕らえられた。釈放されるが、後に再び捕虜となり処刑された。