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概要編集


発端編集

1096年の第1回十字軍の一応の成功でキリスト教勢力により聖地エルサレムを本拠としたエルサレム王国を始め、シリア各地に十字軍国家が築かれたが以後近隣のイスラム勢力の攻撃にさらされる事になり、救援目的であった1140年の第2回十字軍は失敗に終わった。


以後もエルサレム王国とイスラム勢力は交戦を続けていたが、1187年7月4日のヒッティーンの戦いでエルサレム王国等のキリスト教勢力はアイユーブ朝スルタンであるサラディン率いるイスラム軍に敗れて同年10月2日にて聖地エルサレムをアイユーブ朝の手に渡す事になる。


この状況にローマ教皇グレゴリウス8世は聖地奪回の為の十字軍をヨーロッパ諸侯に呼びかける事になり第3回十字軍が始まった。


皇帝フリードリヒ1世の不慮の死編集

いち早く聖地エルサレムを目指したのは神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世赤髭王でビザンツ帝国の妨害に遭いながらも1189年5月18日には小アジアのイスラム国家であるルーム・セルジューク朝の首都イコニウムを占領した。


しかし、1190年6月10日キリキアのサレフ川において渡河する際にフリードリヒ1世は溺死するという事態が起き、神聖ローマ帝国の部隊は一部を除いて撤退した。


英王リチャード1世と仏王フィリップ2世編集

一方でフリードリヒ1世と同じく参加を表明していた英王リチャード1世と仏王フィリップ2世は海路を使ってシリアに到着し、1191年7月12日に両者らが率いる十字軍によりアイユーブ朝の主要拠点であるアッコンが陥落した。


しかし対立関係にあった両者の関係は上手くいかずいかずにアッコン占領後程なくしてフィリップ2世は帰国した。


リチャード1世VSサラディン編集

リチャード1世は以後も戦いを続け、1191年9月7日にはアルスフの戦いでサラディン率いるアイユーブ朝軍を撃破、9月10日は港町ヤッファを占領した。


次いでリチャード1世はエルサレムの奪還を目指したが、アイユーブ朝による堅固な防衛によって聖地奪回はならなかった。


結末編集

1192年9月2日にリチャード1世とサラディンとの間で休戦協定が結ばれ、キリスト教側は目的であった聖地エルサレムの獲得はならずもいくつかの港湾都市を得ることになり、キリスト教の聖地巡礼者は非武装であるならば巡礼を許可する事が許された。


関連人物編集


十字軍側編集

  • リチャード1世(1157年~1199年)

イングランド王。第3回十字軍の主要な指揮官の一人。

  • フィリップ2世(1165年~1223年)

フランス王。第3回十字軍の主要な指揮官の一人。

  • フリードリヒ1世(1122年~1190年)

神聖ローマ皇帝。第3回十字軍の主要な指揮官の一人。

  • レオポルト5世(1157年~1194年)

オーストリア公。

リチャード1世やフィリップ2世と共にアッコン攻略の指揮を執ったが、アッコン占領の際に掲げた自分の旗をリチャード1世に引きずり降ろされた事で遺恨が生じ、十字軍終了後に帰国する途中のリチャード1世を捕らえて幽閉する事件を起こした。

  • コンラート1世(1146年~1192年)

イタリアのモンフェラート侯。

第3回十字軍より前からシリアで活動し、十字軍に協力してアッコン攻略に参加。エルサレム女王イザベル1世と結婚してエルサレム王位を望んだが暗殺教団により暗殺された。

  • アンリ2世(1166年~1197年)

フランスのシャンパーニュ伯。

十字軍に参加しコンラート1世の死後に未亡人となったエルサレム女王イザベル1世の夫となりエルサレム王となる。

  • ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン(1150年頃~1218年頃)

シャンパーニュ伯アンリ2世の重臣。

後に第4回十字軍にも参加し「コンスタンチノープル征服記」を著している。

  • フィリップ・ダルザス(1141年~1191年)

フランスのフランドル伯。

現地で戦死した。

  • ロベール2世(1154年頃~1218年)

フランスのドルー伯。

  • ユーグ3世(1142年~1192年)

フランスのブルゴーニュ公。

フランス王フィリップ2世の帰国後も現地に残ってフランス軍を指揮した。

  • ジャック(1152年~1191年)

フランスのアヴェーヌ伯。

アルスフの戦いで戦死した。

  • ヒューバート・ウォルター(?~1205年)

ソールズベリ司教。

リチャード1世の側近として従軍し、後にリチャード1世がレオポルト5世の捕虜となった際には解放の為の身代金を集める為に奔走した。後にカンタベリー大司教及び大法官となりリチャード1世及びジョン時代のイングランド政治の中核として活躍した。

  • ギー・ド・リュジニャン(1159年~1194年)

エルサレム王。

  • バリアン・オブ・イベリン(1143年~1193年)

エルサレム王国の重臣。資料によってはバリアーノ・イベリン(ディブラン)とも。

エルサレム王アモーリー1世の王妃であったビザンツ皇女マリア・コムネナの再婚相手でもある。

アラビア語に秀でてサラディンとの交渉も担った。

  • ヘルマン・フォン・ザルツァ(1165年~1239年)

ドイツの騎士。

後にドイツ騎士団に入りドイツ騎士団第4代総長となった。


イスラム側編集

  • サラディン(1137年~1193年)

アイユーブ朝初代スルタン。

  • アル・アーディル(1145年~1218年)

サラディンの弟。アイユーブ朝第4代スルタン。

  • クルチ・アルスラン2世(?~1192年)

ルーム・セルジューク朝スルタン。



関連タグ編集

世界史 キリスト教

イスラム教 騎士

戦争 中世ヨーロッパ

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