概要
タイ王国において19世紀に数々の詩作を行い、平民出身でありながら王族に重用され詩聖と呼ばれたスントーン・プーによって、マカロニック(古典の様式でありながら現代文が入り交じる)という手法で書かれた『プラ・アパイマニー(アパイマニー王子物語)』に登場する、海に棲むヤック(夜叉)である女性(ピー・スワン)。
ヤックは猪のような牙の生えた恐ろしい姿の巨人であるが、名前となっている「スア・サムット」とは、「海の蝶:ocean butterfly」という意味であるので、近年では蝶の羽根を生やした美しい女性として描かれることもある。
出自は恐ろしい存在であったが、一人の女性として王子に恋をし最後は彼女の悲恋に終わったというこの物語はタイ王国の人々に愛され、様々な物語に引用されている。
物語
アパイマニー王子は15才で旅に出て笛の名手となり、その音色を聴いた者を眠らせてしまうほどの腕前となった。
その音色を聴いた海底に棲む女夜叉ピー・スア・サムット(Phi Suea Samut ผีเสื้อสมุทร)は、若く美しい王子を夫にしたいと恋い焦がれ、周囲の者が眠ってしまった隙に王子を捕らえて自らの領域に連れ去ってしまう。
そして王子の前では美女に変化したうえで、一人の女性として懸命に尽くすことになる。
王子はそんなピー・スア・サムットとの間に情を交わし、シンサムットという息子が生まれた。しかし、妻とした女性の正体が女夜叉であることに気づき(最初から気付いていたとも)、知り合った人魚の老夫婦の助けを借りて海底から息子と脱出することに成功する。
その際に人魚の老夫婦はピー・スア・サムットに食い殺されてしまったが、王子と息子はとある島に流れ着いて、その島に住む聖仙(ルーシー)の結界に守られながら言語を学び、出家して僧となって修行して過ごすことになる。
修行を終えた王子は島から出て故郷に戻ること決意したが、島から出るとたちまち諦めきれないピー・スア・サムットが海から現われて追いかけてきたので、必死で山の上に逃れそこで笛を吹き始めた。
「また一緒に暮らそう」と懇願するピー・スア・サムットであったが、僧としての徳を積んだ王子の笛の音を聴くと苦しみ始め(死を招く曲だったとも)、のたうちまわって最後は死んでしまったのであった。
その後日談として、王子と人魚の老夫婦の娘との間にスッサーコーンという息子が生まれ、成長し龍馬ニンマンゴーンに跨がった聖仙となり、父である王子を助けるための冒険を繰り広げることになる。
創作での扱い
この女夜叉が登場する物語は、タイ王国の人々には日本の浦島太郎レベルで知られている話しらしいが、基本的に韻を踏むことを重視した物語であるので、ネイティブではない他国の人々には詳細な筋はそれほど伝わっていない。(一説には『千夜一夜物語』をモチーフにしたといわれる)
タイ王国の観光地にある海岸や河口などの水域には、この女夜叉が王子を求め手を伸ばしている大きな像が建てられているところがいくつもあるが、どれも恐ろしい鬼のような姿をしている。
劇などで女夜叉を演じるのは恰幅の良い男性である場合もあり、やはり一般的には恐ろしい鬼のような姿が正体であるとされるが、2006年に公開された映画『オーシャン・バタフライ:Ocean Butterfly』では女優が演じており、白いドレスに鰭のような翅を持つ姿で表現された。
また種族特有の顔は、眉や口周りのメイクで表現されることもある。
近年タイ王国で製作された恋愛ドラマでは、登場人物たちの恋愛に対する姿勢の中で、愛に生きたピー・スア・サムットに対する同情的な発言がいくつも見られる。