概要
主な勝ち鞍はデュークオブヨークハンデキャップ(1924年、1925年)、チャンピオンステークス(1924年)など。
産駒のネアルコを通じて後世に大きな影響を与えている。
馬名は世界七不思議の「アレクサンドリアの大灯台」があるファロス島から。
プロフィール
略歴
1920年
第17代ダービー伯爵(エドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリー)が所有するスタンリーハウススタッド(ニューマーケット)で誕生。
父・ファラリスはポリメラスの仔で、現役時代は主に短距離を走り、種牡馬としてはフェアウェイ、フェアアイル、ファラモンド、シックルなどを輩出した。
母・スカパフローはファロス以外にもフェアウェイ、フェアアイル、ハイランダーを産んでいる。
母父・チョーサーはセントサイモンの仔で牝馬の父として優秀であり、父がファラリス、母父がチョーサーとなる配合は有名なニックスである。
離乳するとダービー伯爵専属のジョージ・ラムトン調教師に預けられたが、性質が大人しく闘志が感じられないため、ラムトン師はあまり期待していなかった。
1922年
4月25日、ニューマーケット競馬場の未勝利戦でデビューし勝利をおさめる。
5月11日、ニューマーケット競馬場のベッドフォードステークスに出走し1着。
6月14日、アスコット競馬場のチェシャムステークスに出走し1着。
7月13日、ニューマーケット競馬場のチェスターフィールドステークスに出走し、レガリティの2着に敗れた。
7月19日、リヴァプール競馬場のマージーステークスに出走し1着。
8月23日、ストックトン競馬場のラムトンステークスに出走し1着。
8月29日、ヨーク競馬場のナンソープステークスに出走し、大きく出遅れトゥーステップの着外に敗れた。
10月27日、ニューマーケット競馬場のホーソンステークスに出走し、トゥエルヴポインターの2着に敗れた。
11月18日、ハーストパーク競馬場のハーストパークグレート2歳ステークスに出走し1着。2歳時を9戦6勝の好成績で終えたが、大レースへの出場はなく評価は高くなかった。
1923年
4月11日、ポンテフラクト競馬場のポンテフラクトプレートに出走し、デイラーの3着に敗れた。しかし、ファロスの成長を感じたラムトン師は表街道の大レースに出走させることとする。
5月1日、ニューマーケット競馬場のヘイスティングスプレートに出走し1着。
5月3日、ニューマーケット競馬場のマーチステークスに出走し1着。
6月6日、エプソム競馬場のダービーステークスに出走。ゴール直前でパパイラスに差され2着に敗れた。
6月13日、ニューベリー競馬場のロイヤルステークスに出走し1着。
6月19日、アスコット競馬場のプリンスオブウェールズステークスに出走し、イースタンモナークの3着に敗れた。ファロスは大レースで勝てないため、裏街道に戻る。
10月17日、ニューマーケット競馬場のセレクトステークスに出走し、ストラットフォードの2着に敗れた。
10月31日、ニューマーケット競馬場のケンブリッジシャーステークスに出走し、ヴァーディクトの4着に敗れた。
11月9日、リヴァプール競馬場のリヴァプールオータムカップに出走し、ポイズンドアローの3着に敗れた。
1924年
4月30日、エプソム競馬場のシティアンドサバーバンハンデキャップに出走するが、重馬場に脚を取られウルラの着外に敗れた。
5月18日、ケンプトン競馬場のグレートジュビリーハンデキャップに出走するが、パースの着外に敗れた。
6月19日、アスコット競馬場のラウス記念ステークスに出走するが、トゥエルヴポインターの着外に敗れた。
7月25日、リヴァプール競馬場のリヴァプールサマーカップに出走。バトンルージュに6馬身差をつけ、1年1ヶ月ぶりの勝利。
8月13日、レッドカー競馬場のノースシーステークスに出走し1着。
10月11日、ケンプトン競馬場のデュークオブヨークハンデキャップに出走し1着。
10月14日、ニューマーケット競馬場のチャンピオンステークスに出走し1着。夏からの好調で古馬10ハロン戦ではトップクラスという評価を受けた。
1925年
4月30日、ニューマーケット競馬場のマーチステークスに出走し、ブライトナイトの3着に敗れた。
7月24日、リヴァプール競馬場のリヴァプールサマーカップに出走し、ウィナロットの3着に敗れた。
8月25日、ヨーク競馬場のナンソープステークスに出走し、ディオメデスの3着に敗れた。
10月10日、ケンプトン競馬場のデュークオブヨークハンデキャップに出走し、昨年に続き1着。
10月13日、ニューマーケット競馬場のチャンピオンステークスに出走。ピカルーンの2着に敗れ、連覇はならなかった。現役引退となる。
1926年
ダービー伯爵が所有するウッドランドスタッド(ニューマーケット)で種牡馬入りした。
1928年
イギリス二冠馬のカメロニアンをはじめ、リンクボーイ、フィラエといった優秀な産駒が誕生。
1929年
産駒のフィルドウシが誕生。ウィイー牧場(フランス)に売却された。
1930年
産駒のアルペッテが誕生。
1931年
イギリスのリーディングサイアーとなる。産駒のベルニーナ、マリーテューダーが誕生。
1932年
産駒のザナイルが誕生。
1934年
1935年
産駒のネアルコが誕生。
1936年
産駒のファリス、セミラミデが誕生。
1937年
4月、ウィイー牧場で死去(17歳)。
1939年
フランスのリーディングサイアーとなる。
余談
- 種牡馬入りして実績を残していたファロスだったが、ダービー伯爵は全弟のフェアウェイに目をかけており、競合を避けるためフランスに輸出されてしまった。フェアウェイは種牡馬成績でもファロスを圧倒したが、現在繁栄しているのはファロスの子孫たちである。
- イタリアの馬産家フェデリコ・テシオは所有する牝馬ノガラの交配相手としてフェアウェイを考えていたが、フェアウェイは大人気だったため満口となっており、代替種牡馬としてフランスにいた全兄のファロスを種付けし、生まれたのがネアルコであった。