ルーイカット
るーいかっと
開発は1970年代から始まり、1981年より陸軍に配備が開始された。
8×8輪のタイヤに76mm砲を備えた車両であり、南アフリカの貴重な戦闘車両である。
第二次世界大戦後の南アフリカを取り巻く情勢は最悪と呼べるものであった、国内では人種隔離政策とそれに反対する勢力との争い、隣国南西アフリカ(現ナミビア)の領有権問題、さらに北のアンゴラに対する侵攻と内政外交共に悪化した情勢、それに対する国際社会からの制裁で軍事面ではギリギリの戦いをしていた南アフリカ国防軍が保有する戦車戦力はイギリスから輸入できたセンチュリオン戦車のみであり、1970年代になると旧式化が目立ち始めた。
南アフリカが実行支配する地域が広く、有事の際の兵力の輸送が問題であった。北西のアンゴラ方面だけではなく、北東の隣国の南ローデシアが陥落すれば、その国境周辺にも共産勢力が侵攻する恐れがあったのである。戦車が自走して展開できる距離ではなかったことから、南アフリカ軍はセンチュリオンに替わり、長距離の陸路を自走可能で、早期の展開が可能な戦闘車両の開発を1974年より開始した。
アンゴラ軍やジンバブエ独立勢力が保有していたソビエト製のT-54/T-55やT-62戦車を撃破可能な火力砲、長期間自走可能で、悪路も走破できる足回り、戦車と渡り合える装甲の3点である。
南アフリカではフランスのAML自走砲をライセンス生産し配備していたが、車両が小型で活動可能距離は限られていた。これに替わる高い性能の車両が求められ開発が行われ、1980年までに完成した。
ルーイカットでは主砲は艦載砲でおなじみのオート・メララの76mm砲と同系列が採用された。これは補給の容易性と搭載弾数の増加を狙ったもである。
8輪の走行機構はそれぞれが独立しており、悪路でも高い走破性能と道路での戦車より早い移動と舗装路への負担の軽減を両立している。走行装置が二か所破損しても走行可能である。