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三吉慎蔵

みよししんぞう

三吉慎蔵は、幕末・明治期の人物。長州藩の支藩・長府藩の生まれ。
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概要編集



プロフィール編集

性別男性
生没年1831~1901
出身地長府藩
特技槍術

天保2年(1831年)、長府藩の今枝流剣術師範の次男として生まれる。数え年七歳で、田辺惣左衛門の養子となり、藩校敬業館に入学。天保10年(1839年)、諸武芸師範に入門。嘉永2年(1849年)、長州藩校明倫館に入学。宝蔵院流槍術に長じていた。

安政4年(1857年)、長府藩士・三吉十蔵の養子となり藩主・毛利元周の近習扈従役として江戸に随従。

文久3年(1863年)、四国艦隊下関砲撃事件の影響で大砲鋳造掛締方・精兵隊諸事肝煎に就任。慶応2年(1866年)には知人の仲介で坂本竜馬の知遇を得る。長府藩より京都の情勢を探るよう命じられ、薩長同盟を取り纏めつつあった竜馬と共に下関を出発。伏見・寺田屋に入った。

竜馬から薩長同盟の結果を聞いている最中、伏見奉行配下の捕り方に踏み込まれる。このとき、竜馬はピストルを撃って捕方と応戦し、このとき流れ弾に当たって捕方一名が死亡するも、竜馬も両手に重症を負う。

慎蔵は槍を振るって応戦し、包囲された寺田屋を奇跡的に脱出。傷を負って一次意識が朦朧としていた竜馬を材木小屋に隠すと単身薩摩藩邸に走り、救援を要請して竜馬の命を助けた(寺田屋事件)。

3月5日(4月15日)、薩摩の軍艦・胡蝶丸は竜馬とその妻・お竜、慎蔵を乗せて大阪を出港。慎蔵は下関で下船し、長府藩に情勢の急転を報告。慎蔵は寺田屋事件での功績によって長州藩主・毛利敬親から刀の下賜、長府藩主から20石の加増を受け、同藩目附役に任ぜられた。

二ヶ月後には第二次長州征伐に参戦し、高杉晋作率いる奇兵隊とともに幕府軍に大勝した。

慶応3年(1867年)、竜馬は長崎から土佐にむかう途中で下関に寄港し、廻船問屋・伊藤家にお竜を預けた。この際、竜馬は慎蔵にお竜の後事を託していた。その年の11月15日に竜馬は暗殺され、慎蔵は竜馬との約束通り、お竜・君枝姉妹を長府の自宅に引き取って3ヶ月間面倒を見た。翌慶応4年(1868年)3月にはお竜を高知の坂本家に送り届けている。

維新後は豊浦藩(長府藩)権大参事に就任し、廃藩置県後は宮内省御用掛として北白川宮家の家扶となり、のち家令として15年仕えた。晩年は故郷の長府で暮らし、明治34年(1901年)、数え年71歳で没した。

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