概要
上杉朝興は、北条氏綱の脅威に対抗するために武田信虎と同盟を組んだ。その証として、朝興の娘・上杉の方は天文2年(1533年)に信虎の嫡男・勝千代(のちの武田信玄)と結婚し、彼の正室になった。政略結婚であったにもかかわらず、夫婦仲は良かったと言われている。
しかし翌年、難産で他界した。
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