撮影用のレンズと構図、ピントを確認するレンズの2つを備える。
特徴
20世紀中盤、パトローネ入り35mmフィルムを用いるカメラが市場を席巻する前に大きなシェアを誇っていたカメラである。
外観は、一般的に縦長長方形の箱型で、前側に2組のレンズが備わる。
カメラ上部に大きなファインダー(デジタルカメラで言えば一眼レフなどよりはむしろコンパクトカメラに近い感覚である)が備わり、撮影する際は箱型のフードをせり出して、上側から覗き込むように撮影する。
このため、手持ちで撮影するときは胸の前に抱えるようにして構える。
ファインダーに映る映像は、左右が逆となる点を除けばほぼ撮影用のレンズと同じ映像となるため、同世代の他のタイプのカメラと比較すると直感的に操作でき、撮影はそこそこ楽である。
構造
一般的に、下側に撮影用のレンズ、上側に撮影者が構図やピントを確認する為のレンズの2組のレンズが組み込まれている。
撮影者は、カメラ上面に備わるフォーカシングスクリーン(ピントグラスとも)と呼ばれるすりガラスに映る映像を見ながら構図・ピントを決める。
レンズが2組あるため一見高価に見えるが、一眼レフのような高度な機構は必要とされないため、設計次第ではかなり安価に製造できる。
殆どのカメラが35mmフィルムより大きな、120・220といったブローニーフィルムを用いる所謂中判カメラである。ごく一部の高級機を除いてレンズの交換が出来ないが、中版であればフィルムの面積が大きいのでプリントする際にトリミングすれば良い。
しかしながら、光学系が2組組み込まれる為にどうしてもボディが大きくなり、例えば折りたたみ式のスプリングカメラと比べるとどうしても嵩張った。
また、ファインダースクリーンの映像は左右逆となる上に、撮影者は下向きに覗き込む格好となるので、動物や乗り物など激しく動き回る物の撮影には熟練を要した。この問題に応えるために、スポーツファインダーが備えられた機種もあったが、これはただ単に四角い穴が空いた金属板を覗き込むという心許ないもので、ピントを合わせることは出来なかった。
また、ファインダースクリーンの映像は、撮影用のレンズと比較すると映る範囲にややズレがあり、カメラと撮影対象が近付くほどにズレが大きくなったため、接写では「実際に出来上がった写真とイメージしていた構図が違う」という失敗がしばしば起こっていた。
主なメーカーなど
二眼レフカメラは、1800年代末には既にアイデアが存在したが、これを完成形にしたのはドイツのフランケ&ハイデッケ(Franke & Heidecke)であった。1929年に「ローライフレックス(Rolleiflex)」として発売されたこのカメラは、現在に至るまでのベストセラーとなった。後にフランケ&ハイデッケはローライ(Rollei)と改称された。
同じくドイツのカール・ツァイス(Carl Zeiss)や、フォクトレンダー(Voigtländer)といった名門メーカーからもメーカーの威信を掛けた上質なカメラが発売された。
一方で、構造を単純にすることができるため、機能を限定したり積極的にコストカットを行うことで、充分な性能と安価な価格の普及機も数多く製造された。
ドイツ製ではフォクトレンダーのブリリアント、日本では戦後にリコーから発売された「リコーフレックス」を鏑矢に当時のカメラメーカーの殆どが参入し大人気を博したほか、終戦と共に雨後の竹の子の様に誕生したメーカーが数多くの二眼レフカメラを生み出した。現存する日本のメーカーで二眼レフに手を出さなかったのは、日本光学(ニコン)、精機光学(キヤノン)、旭光学(ペンタックス)くらいとも言われている。
1955~60年頃を境に大衆向けカメラの地位はコンパクトで廉価な35mmレンズシャッターカメラに代わっていったため二眼レフの普及機は姿を消した。
とはいえ、高級機は熱心な愛好家に支えられて資本主義圏では主にローライやマミヤなどが製造を続けていたが、このうちマミヤは最後まで残ったC330が1994年に製造終了している。
社会主義圏でも、例えば中国製の「海鴎(Seagull)」は21世紀になっても製造が続けられ、2010年代になってからも国内に新品の在庫があったようである。
また、先に述べたとおりカメラとしてはごく安価に作ることも可能であるため、トイカメラや組み立て式のキットなども発売されている。
創作において
スチームパンクやファンタジーなど、近代以前をベースとした世界観の創作において、カメラが出てくる際はこの二眼レフであることが多い。
前述の通り二眼レフは精々100年と少し程度の歴史しかなく、史実を元にした時代考証的にはアウトなのだが、その現行のカメラとかけ離れたレトロな見た目が創作世界に馴染み、また設計そのものは単純である点から、少しでも技術の進んだ地域や人物が存在するならば設定上も違和感なく登場させることが出来るのが大きいと思われる。