概要
日本の実業家。
1950年2月10日生まれ。
経歴
広島大学中退後、職を転々とした後に1982年に広島市でソフトウェア製作会社コンパイルを創業。
ゲーム会社の下請けとしてゲームソフトを製作し、経営を軌道に乗せた。
1991年に発売した『ぷよぷよ』が大ヒットしたことで、コンパイルは急成長。
一躍広島の名物企業にのし上げ、自身も名物社長として度々メディアに露出するようになる。
『ぷよぷよ』は全国大会が開催されるほどの活況を呈し、それは次作『ぷよぷよ通』で頂点を迎えた。
しかし、この頃から仁井谷のワンマン経営が暴走。
数度の本社移転と新社屋の建設、大々的な広告展開、過剰な人員採用など無秩序な拡大路線を執るようになり、これが『ぷよぷよ』の利益だけでは支えられなくなっていった。
更に『ぷよぷよSUN』の不発や、他にヒット作を生み出せなかったこともあり、やがて経営は行き詰まり1998年にコンパイルは倒産する。
『ぷよぷよ』の権利をセガに売却し、企業規模を大幅に縮小した上で再建を模索するも叶わず、コンパイルは2002年に消滅。
仁井谷自身も自己破産した。
その後は新しいゲーム会社の社長や、代々木アニメーション学院の講師などを転々とするが、どれも長続きせず、ひっそりと表舞台から姿を消した。
2010年代になると再び表舞台に出てくるようになり、テレビ出演やネットでの活動が目に付くようになる。
現在は新会社「コンパイル○」の社長を務め、3DS用のソフト『にょきにょき』を配信している。
余談
- 急成長したコンパイルを、これまた急速に衰退させ倒産させた仁井谷の経営は、現在でも経営の失敗事例として語られる事が多い。
- コンパイル倒産直後の1999年に『傷心〜きずごころ』というCDを発売しており、一応は歌手としての実績を持つ。
- 2022年現在では千葉県松戸市のアパートでひっそりと暮らしているとのこと。
関連項目
広島電鉄:コンパイル起業前に務めていた。