この記事の概要だろう
虎杖「朝顔」
宿儺「紫陽花だ間抜け」
虎杖「分かってるつーの うっかりだ
仙台引っ越してから気づいたけどこっちではよく咲いていたんだよ 街路樹とかの種類って誰が決めてんだろ」
虎杖「っていうか花の名前なんて分かるんだな」
宿儺「.........伏黒恵の記憶だろう」
こちらを改変した物が伏黒恵の記憶だろう構文である。
この構文の使用例だろう
虎杖「○○(本来とは違う物)」
宿儺「□□(本来の物)だ間抜け」
虎杖「そういうの分かるんだな」
宿儺「………伏黒恵の記憶だろう」
上記の様に、花の名称の部分を何かしらと入れ替えて使用するのが定石。簡潔にまとめられるように「分かってるつーの」の下りは省略されている。
これにより虎杖が単純に間違えたのを宿儺が伏黒の記憶を元に訂正するという構図が出来上がるため、女児向けアニメに詳しい伏黒、美少女ゲーに詳しい伏黒、声優に詳しい伏黒etc…など、あらゆるオタク文化に詳しい伏黒という本人からすればたまったものではないであろう風評被害を被る構文となっている。もういいんだ…
よく考えてみると、虎杖と宿儺がオタク文化について語り合っているという絵面も面白いが、宿儺の言っていることが伏黒の記憶のせいに出来てしまうのがこの構文の真に面白い所である。しかし、それはあくまで構文内のネタ話であり、本編では宿儺自身が紫陽花を知っているのに伏黒の記憶だと言い張っていると多くの読者が解釈しただけで、本当のところは不明である。本当に伏黒の記憶で紫陽花の名前を知った可能性もあるし、宿儺は小僧の記憶は覗かないが唯一の好奇である伏黒恵の記憶なら覗いていると解釈している読者もいるので、この構文ネタのせいで宿儺が伏黒の記憶のせいにしていると思われがちだが、実際のところは不明なので勘違いの可能性もあることを忘れないように。
この記事の余談だろう
- 宿儺が生きた平安時代では、紫陽花は知名度が低い花であり読み方や漢字も違う為、伏黒の記憶で紫陽花という名前を知った可能性は高い。たとえ、宿儺自身が知っていた花だとしても呼称は違っていた可能性がある。
- 紫陽花は雨に咲く花であり、恵みの雨により咲く花を宿儺が伏黒の記憶で知った(宿儺が元々知っていたとしても伏黒の名前を出す辺りがかなり意味深)といった描写が描かれたため、伏黒と紫陽花は宿儺のバックストーリーに深い関係がある可能性がある。