写実主義とは、美化や理想化を排した現実そのままの姿を、存在そのままに描写する芸術のアプローチ。広義にはさまざまな作品を写実主義と呼ぶことがあるが、狭義に"réalisme "(フランス語)と称するのは19世紀後半にフランスで誕生した芸術潮流である。
フランス美術においては、中世のキリスト教による表現の制約を逃れたルネッサンス以降、技術的には現実をそのまま描写する事への制約はなくなってきた。しかし、そのルネッサンスの後継である新古典主義は、あくまでも古代ギリシャ・古代ローマの理想に従って誇張を加えた表現に徹していた。さらに新古典主義を批判して誕生したロマン主義は、自らの情念を託す題材を英雄の武勇伝に求める傾向があり、やはり目の前で暮らすパリ市民の日常からはどこか隔絶していた。
ここにクールベという画家がいた。1855年のパリ万博に出品を拒否されると会場近くで個展を開き、ここで写実主義者をはじめて名乗った。そのパンフレットで「自己の属する時代の風俗、観念、社会相を描く」と宣言している。クールベは他の画家が想像力によって誇張した表現を用いることを厳しく批判し、他の画家が黙殺する地味な風景、垢抜けない人々、貧しい民衆の暮らしなどをあえて描くことで現実を表現しようとした。クールベは画家に敵が多く、また虚栄をもたらし現実の暮らしを痛めつける権力を嫌ったことから労働者の政権パリ・コミューンに参加するも敗れ、スイスに亡命して生涯を終える。だがこの時代には同じくありのままの現実に目を向けた画家が輩出し、農家の暮らしを描いたミレー、社会問題への風刺画で知られるドーミエらがいる。このような神話画や歴史画などのモチーフ偏重を排し、目の前の現実を描こうとする写実主義の態度は、やがて印象派の誕生へとつながっていくことになる。
文学の世界でも、近代市民社会の成立を背景としてそのありのままの姿を文字に表現する潮流が同じころに生まれた。それがバルザックやフローベルらである。後にこの潮流は自然主義へと発展していく。また日本にも伝わり、二葉亭四迷の『浮雲』といった小説に影響した。
写実主義
絵画
古代ローマの遺跡には比較的写実な絵画が多く残されている。しかし、その後西ローマ崩壊を経て写実主義は衰退する。その後カメラ・オブスクラや遠近法の発明によりゆっくりと復興していき、ルネサンスを迎える。
アジアではあまり発達せず、水墨画が数少ない写実主義傾向の絵画である。目が黒いため陰影の認知に限界があり(黒いフィルムをかけたカメラのようなもの)、現代でもアジアからの絵画はアニメ絵のように写実主義よりデフォルメ・理想主義に人気がある。
彫刻
古代エジプトのアマルナ美術の時代から存在する。その後ギリシャで発展し、これが中央アジアに渡り、仏像となって日本にも入ってきた。
ただ近世までの彫刻は、非実在の仏像はギリシャ風で写実主義なのだが、実在の人物の彫刻はギリシャ風でなく写実的ではないことが多いという逆転関係になっている。