もしかして : ジョン・エヴァレット・ミレー
概要
ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet/1814-1875)は、19世紀フランスの画家。
大地とともに生きる農民を主題とした作品が多く、農業国である日本では早くから紹介され、特に親しまれた。
ミレーの代表作の一つ『種まく人』は、岩波書店のシンボルマークとして採用されている。
1814年、ノルマンディー地方マンシュ県の海辺にあるグリュシーという小さな村に生まれる。8人兄弟の長男。ミレー家は裕福な農家で、父は農民であり村の教会の合唱指揮者でもあった。
19歳の時、グリュシーから十数キロ離れたシェルブールの街で絵の修業を始める。22歳の1837年、パリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュに師事。デッサンや模写のほか、聖書や神話など画題となる古典文学にも学ぶ。
26歳の時、肖像画がサロン(官展)に初入選。生活は貧しく、主に肖像画や裸体画を描いた。この頃の画風は「マニエル・フルーリ(華やかな手法)」と評されており、繊細で柔らかなタッチと明るい色彩が特徴で、神話画などを多く手がけている
1841年、シェルブールで仕立屋の娘ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノと結婚し、パリに住むが、彼女は3年後の1844年に肺結核により病死する。さらに、サロンにも落選し落胆したミレーは、再びシェルブールに戻った。
シェルブールに戻ったミレーはほどなくカトリーヌ・ルメールという女性と知り合い、同棲。1846年には2人の間に第1子が誕生する。ミレーとカトリーヌはここでは正式に結婚しておらず、その後1853年に入籍。9人の子供をもうけた。
1849年、パリにおけるコレラ流行を避けるため、パリの南方約60キロのバルビゾンへ移住し、以後同地で制作を続けた。
この頃には政府からの依頼もあり、経済的にも安定する。農民画に専念し、代表作『種まく人』をサロンへ出品するのは翌1850年のことである。ミレーの代表作に数えられる『晩鐘』『落穂拾い』などの代表的農民画は、バルビゾン移住後の作品である。
代表作
創作でのジャン=フランソワ・ミレー
ジャン=フランソワ・ミレーを題材にした人物、またはモチーフにしたキャラクターが登場する作品。
- 『ラヴヘブン』
乙女パズルゲームの攻略キャラクター。→ミレー(ラヴヘブン)
絵画「種まく人」で名前が知られている画家。
恋より食い気が勝っているようだが、彼に思いは届くのか…。(ゲーム内プロフィールより引用)
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
別名・表記揺れ
×ジャン=フランソワ・ミレー … 全角記号がつかわれているためタグとして使用不能