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千秋実

ちあきみのる

日本の俳優。(1917年〈大正6年〉4月28日 - 1999年〈平成11年〉11月1日)

概要編集

本名は佐々木勝治(ささき かつじ)。旧姓は森竹。


1936年(昭和11年)、芝居に興味を持って新築地劇団に研究生として入団。同年11月の同劇団公演『女人哀詞』(山本有三原作)で初舞台を踏む。


1938年(昭和13年)3月、劇団を脱退。五月座を結成するが、翌1939年(昭和14年)3月、大学卒業と同時に兵役につき歩兵第26連隊に入隊、五月座は自然消滅する。


1942年(昭和17年)女優の佐々木踏絵と結婚する。


戦後の1946年(昭和21年)5月、踏絵夫人とともに薔薇座を結成。

舞台を観た黒澤明によって1949年(昭和24年)に『静かなる決闘』の題名で映画化された。これが縁で黒澤にすすめられて『野良犬』にレビュー劇場の演出家役で映画初出演する。これを機に薔薇座を解散し、以降は映画俳優に転向する。


フリーとして多くの映画に出演。特に黒澤作品には中心的脇役として計11本の黒澤作品に出演。『隠し砦の三悪人』で藤原釜足と演じた農民コンビは、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』に登場した2体のロボット(R2-D2C-3PO)のモデルとなった。


1960年代からはテレビドラマにも出演するようになり、乙羽信子と夫婦役を演じた『ママちょっと来て』でお茶の間の人気を集め、その後も『肝っ玉かあさん』などのホームドラマに父親役で出演した。


1975年(昭和50年)、収録中に脳内出血で倒れ入院し、翌1976年(昭和51年)再起する。そこに至るリハビリの過程は、1979年(昭和54年)に刊行した『生きるなり』(文藝春秋)につづられている。


1985年(昭和60年)、伊藤俊也監督の『花いちもんめ。』での老人役で第9回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞など、数々の演技賞を受賞する。


1999年(平成11年)11月1日、急性心肺不全のため東京都府中市内の病院で死去。82歳没。

これにより、黒澤作品『七人の侍』の七人の侍の俳優が全員鬼籍入りした。

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