概要
旧大和国(今の奈良県)にある神社。但し、漢字は同じだが一宮(その国一番の社格)ではない。
古代朝廷からは近いところにある石上神宮と共に重要視されていた。
海関係では必ずこの神社にお参りしていたという(大和に海はないのd(
旧称は朝和之宮(あさわのみや)と呼ばれていた。
祭神は次の3柱。
中殿:日本大国魂大神
左殿:八千戈大神
右殿:御年大神
日本大国魂大神(倭大国魂神)以外の祭神については文献によって諸説あり、『神社要録』では左殿を須沼比神、『社家説』『元要記』では左殿を三輪大明神(大物主)・右殿を天照大神、『元要記一説』では右殿を稲倉魂神としている。
元々今の位置に鎮座していたわけではないらしく、今の地から東方の桜井市付近にあったという。
そのあとに天理市(当時は山辺郡)の今の地に鎮座した。
平安初期は伊勢の神宮に次ぐほどの領地だったが平安京に移転されると衰退し領地を失ってしまう。
江戸時代は社殿を仏教風にした。
また、二代目大和(戦艦大和)の艦内神社に選ばれ(一宮は大神神社だったが漢字が同じだったため)
※戦艦は一宮を納めようとしていたがほとんどの戦艦が一宮じゃない件については・・お察しください
4月1日はちゃんちゃん祭りという大和から山辺の道を通る祭りを行う。
戦後は戦艦大和と軽巡矢矧の英霊を合祀し、4月7日の沈没日には慰霊の儀を行っている。
元伊勢(今の伊勢神宮の場所以前に一時的にあったとされるお伊勢さま)の一つとされる。