- 日本に存在する城郭の一つで本項で解説。
- 1をモデルとしたゲーム「御城プロジェクト」に登場するキャラクター。
→大多喜城(御城プロジェクト)で解説
概要
その前身を「小田喜城」に持つ日本の平山城。かつての上総国、現千葉県夷隅郡大多喜町に存在。現在ではその天守閣等は残っていないが、天守閣を模した博物館が建っている。また、堀や土塁等も残されている他、元の城の敷地内には県立大多喜高校が存在し、学校の敷地内に大井戸や薬医門といった遺構が残されている。(薬医門は移築したものだが、大井戸は当時のものがそのまま残っている。)
徳川家康の重鎮徳川四天王の一人で戦国武将として名高い本多忠勝がかつてより存在していた小田喜城を大幅に改築し、居城とした際に大多喜城と名を改め、城下町を築いたとされている。
大多喜藩10万石の中心として戦国時代~江戸時代にかけてその地を治めており、千葉県の沖で難破したメキシコ船の乗組員を救助した際には彼らを大多喜城へ招いたという記録が残されている。この一件がメキシコと友好関係を築いたとされ、後に明治政府がメキシコとの国交を結ぶ際も平等な条約を結ぶことができた理由とも言われている。
しかし、江戸期の大多喜城の状態に関する史料はあまり残されておらず、その詳細は未だに謎になっている。しかし、それらの残された史料からは、大多喜藩が一時廃藩になったりした事など様々な経過があったことから荒れ果ててしまっていたという事、天守閣も火事によって喪失してしまったらしいことがわかっている。
明治3年に城は取り壊されたが、本丸等は史跡として本日まで保存されている。