略歴
弘化3年(1846年) - 明治5年2月7日(1872年3月15日)
大垣藩士・市村半右衛門の二男として生まれる。弟は新撰組副長土方歳三の小姓を務めた市村鉄之助。安政5年(1858年)、父の藩籍剥奪により浪人生活を送り、慶応3年(1867年)の隊士募集の時に弟・鉄之助を従え入隊。慶応4年(1868年)3月頃、隊を脱走し大垣藩へ帰参する。
長男の久吉誕生後、家督を譲った。後に弟の鉄之助とも再会し明治5年(1872年)に病死。享年27。
因みに鉄之助も彼の死の翌年に病死している。(こちらは享年20)
創作の市村辰之助
『新撰組異聞PEACEMAKER』/『PEACEMAKER鐵』
CV:上田祐司
両親が亡くなってからは鉄之助の親代わりでもある。
いつも弟市村鉄之助の無茶苦茶な行動に振り回されており、神経性胃炎持ちでもある。鉄之助に対してかなり過保護…というよりも鉄之助を守る事で精神的自我を保っている節もあり、健全な愛し方ではない部分も散見される。この事は同じく上の兄弟を持つ山崎にも指摘されていた。無論鉄之助が剣を取ることも快く思っていなかった。
しかし次第に鬱屈した感情は無力な自分へと向き、坂本龍馬と出会ったことにより、銃を扱えるようになることを志すようになる。
「油小路の変」では、龍馬に譲ってもらえなかった銃を独学で製作することに成功し、鉄之助を救出しに行くも、不完全な銃であったため、碌に戦うこともできずに鉄之助は拉致されてしまった。その結果今まで内包していた鉄之助への強い依存心が剥き出しになり、精神が崩壊しかけるも、鉄之助が無事に帰ったことで正気に戻る。
第二部では自作の銃による戦法が隊に認められ、戦闘でも大いに活躍するようになる。しかし山崎烝の死で精神が徐々に不安定になり始め、これ以上大切な人———鉄之助———を亡くしたくない想いから、遂には宇都宮城の戦いで指令の捏造という軍規違反を犯してまで鉄之助を離脱させようとする。
土方の力になりたい鉄之助には当然抗議され、戦場へ戻ろうとする彼を銃で脅してまで行かせまいとしたことで、兄弟は完全に決裂。この頃には鉄之助も兄の異常性に気づいており、「アンタなんか兄じゃない」と捨て台詞を吐いて去ってしまう。この事が辰之助の心に完全にトドメを刺すこととなった。