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概要編集

1966年8月13日生まれ。岡山県出身(生まれは神奈川県)。本名は春花 直樹(はるはな なおき)。


素行不良が原因で高校を1年の1学期で中退したのをきっかけに、地元の悪い仲間から引き離したいという両親の意向により埼玉県の親戚へと預けられる。


サラリーマン生活を経てお笑い芸人を志し、1985年に片岡鶴太郎に弟子入り。太田プロへ所属する。同期には爆笑問題松永光代松村邦洋がいる。

本名の画数が悪いという理由で、鶴太郎から苗字の「春花」と「芸人として一番を目指す、春一番の風のように強い風を吹かせる」という思いを込めて春一番の芸名を授かった。


小学校の卒業アルバムに「アントニオ猪木そっくりのプロレスラーになる」と書くほどの猪木信者であり、芸風はアントニオ猪木の物真似一本で勝負するスタイルであった。同じ猪木の物真似をするアントキの猪木アントニオ小猪木と異なり、猪木のマイクアピールの物真似に徹していた。


ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!に出場して知名度を上げるも、過度の酒好き、というよりアルコール依存症が絡んだ素行不良により1994年に事務所を解雇されている。


ビートたけしは春のことを心配して周囲の人に酒を飲ませないよう指示したり「お前が酒をやめたら俺の番組で一生使ってやる」と説き、同期を含め多くの芸人仲間が生活ぶりを心配していたが、それでも酒をやめることが出来なかった。

酒を飲む際に食事をほとんど摂らないため、非常に痩せており、たけしから「しっかり食え」と炊飯器を贈られたがホットウイスキーを作っていたという。


2000年頃に猪木の活動が注目を浴びるようになるのと連動して春へのオファーも増え、本人とCMで共演したこともある。


2005年8月、腎不全で入院した。集中治療室に入っていた際に猪木本人が見舞いに来て激励した。この時期は肺膿腫で意識朦朧の状態にあり、命も危ぶまれたが、ICUの中で猪木がビンタを一発食らわせたことで回復したというエピソードがある。


退院後も骨粗鬆症になってしまうなど体調は芳しくなく、長期療養していた。2011年頃にはエスパー伊東の誘いでアネットに移籍。体調を考慮し、平日は休んで週末に営業に出かける形で活動を続けていたが、それでも酒は止められず1日おきに飲酒していた。


2014年7月2日、帰宅後に1人で飲酒して酩酊した後に就寝するも、翌朝冷たくなっている事に一緒に寝ていた妻が気付いて救急搬送され、蘇生措置を取るも7月3日の朝、肝硬変により死亡が確認された。47歳没。


春の死去を受け、アントニオ猪木は「贈る言葉に相応しくないと思いますが、あえて『元気ですかー!』を送ります。」と追悼コメントを寄せた。


酒好きが過ぎるあまり、テレビ番組の企画で健康診断を受けた際、γ-GTPが1500という異常な数値を示し、医師から即刻入院を勧められた事がある。(正常値は10~50、超高度でも500)

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