史実
史実では「倡姫」「倡后」と記されている。
最初に嫁いだ婚家の一族を混乱させて、寡婦となった。その美しさが悼襄王の目に留まり、王は彼女を娶ろうとした。李牧がこのことを諫めたが、王は聞き入れず、彼女を迎えた。
その後、江姫は入内して姫となり、公子遷(後の幽繆王)を生んだ。だが、さきに悼襄王の王后の生んだ子の公子嘉が太子となっていたため、密かに王后と公子嘉のことを王に讒言し、人を使って公子嘉を罪に陥れた。悼襄王は公子嘉を廃嫡し、公子遷を太子に立て、王后を廃位して倡姫を后に立てた。
秦の賄賂を受け取り、幽繆王に讒言し、李牧を殺害させた。
秦軍が邯鄲を陥落させ、幽繆王は捕らえられた。趙の大夫たちは、倡后が公子嘉を讒言したことや李牧を殺させたことを恨んでいたため、倡后を殺してその家を滅ぼした。
キングダム
悼襄王の夫人で、幽繆王の母。地位を追われた郭開の前に書記官らと共に現れた。