概要
父は浅野長友、母は内藤忠政の娘、播磨国赤穂藩主、官位は従五位下、内匠頭、通称は浅野内匠頭。
経歴
寛文7年(1667年)に誕生、延宝3年(1675年)に赤穂藩主となる、天和元年(1680年)に従五位下、内匠頭となった、元禄14年(1701年)に朝廷からの勅使の接待役となるが江戸城松乃廊下内で高家吉良義央を斬り付けたため切腹処分となり領地没収となった。
死後
死後赤穂藩浅野氏は改易となり翌年の元禄15年(1702)に大石良雄ら赤穂浪士達は義央邸へ討ち入りに向かい義央を討った(元禄赤穂事件)。