深谷上杉家
ふかやうえすぎけ
山内上杉家4代目当主の上杉憲顕の6男・憲英が庁鼻和上杉を立てたのが祖とする。憲英の曾孫の房憲より深谷上杉と称した。憲英・憲光父子は、幕府から奥州管領に任命されている。
分家の扇谷上杉家と共に武蔵国を治めるが6代目・上杉憲賢(1498年?~1560年)の代に北条軍との戦いである河越夜戦によって最後の当主である上杉朝定が戦死して扇谷上杉家が滅亡すると、北条家に降伏する。
憲賢の息子である憲盛(1530年~1575年)は父が降伏してなおも、上杉憲政と結んで武田信玄と笛吹峠で対戦したり、同族の長尾景虎と通じて徹底抗戦を続けるが復権はならないまま1563年、北条軍に敗れて降伏した。
しかし1569年、越相同盟の締結によって深谷城が上杉家に戻った事により憲盛は深谷城へ帰参。そして甲斐武田家が攻めてきた際には防戦し、勝利。憲盛は1575年に46歳で死去するまで上杉配下として貫いた。
憲盛の息子である氏憲(?~1637年)の代では深谷上杉家は北条家に帰参している。氏憲は小田原征伐でも小田原城に籠城しているが、元配下の秋元長朝に裏切られて小田原城は開城。
氏憲は小久保と姓を改め、信濃国にて隠居した。ちなみに氏憲の長男である憲俊は1617年に池田家に仕えている。
…と上記の説明を見るとマイナーな大名として知られている。流石にコーエー作品の信長の野望には出ていないと思われるが・・・・。
実際は武将風雲録のシナリオ1にて武蔵の国で大名を務めている。当主は憲賢。配下は息子の憲盛、太田資正の3人。
周辺には強敵の北条家と武田家があるので高難易度。更に親子揃って武力は低めなので配下の太田資正が頼りになるだけか。
DS版では初期戦術は鼓舞・鎮静・弓構の3つ(DS版ではシナリオ1のみ。3DS版はシナリオ1・5共通)なので地味。しかし鎮静は相手の戦術を打ち消せるので決め手に欠く深谷上杉家にとっては相手の戦術を無効化出来るのは有難い。
シナリオ5「群雄集結」では何故かスタッフのミスで上杉家の疾風・鼓舞・車懸がセットされているが、寧ろ救済措置となった・・・・・
と思われたが3DS版では修正されてシナリオ1と同じ戦術となった。
なお家紋は竹に二羽飛び雀の色違い版。扇谷上杉家も同様の家紋を使用している。