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漣(駆逐艦)

さざなみ

旧日本海軍の駆逐艦名。2代が存在した。
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2代目漣をモチーフにした「艦隊これくしょん」のキャラクターは、「漣(艦隊これくしょん)」を参照。

雷型駆逐艦・初代「漣」

初代漣は、英国ヤーロー社で建造され、1899年8月28日に竣工した、雷型駆逐艦の4番艦。1900年3月24日に佐世保に到着し、5年後の日本海海戦に従軍する。この際、初代陽炎とともに行動していた本艦は、ロシア駆逐艦のベドーヴイを拿捕し、バルチック艦隊司令長官・ロジェストヴェンスキー中将を捕虜とした。夜戦中に陽炎ともども僚艦とはぐれ、さらに当時の艦の据付望遠鏡を超える倍率の双眼鏡を、乗組員のひとりがたまたま私品で持っていたために、通常では視認不能な距離から一方的に発見したという偶然の重なりがもたらしたものではあるが、本艦最大の武勲であることに変わりはない。
1913年4月1日に除籍された本艦は、まず同年8月23日、雑役船(掃海船)に編入され漣丸に改称される。
1916年(大正5年)3月31日、標的船となり同年8月29日、千葉県館山沖で撃沈処分となった。

同型艦に「」「」「曙」「朧」(以上いずれも初代)と「霓」がある。

吹雪型駆逐艦・2代目「漣」

2代目漣は、舞鶴海軍工廠で建造され1931年6月6日に進水、1932年5月19日に就役した、吹雪型駆逐艦の19番艦。
本艦は特ⅡA型に属する4隻の中の1隻で、同型には朧、曙、潮がおり、1939年からはこの4隻で第七駆逐隊を編成している。ただしそれまでは同じ吹雪型でも特Ⅲ型の暁や特Ⅱ型の狭霧と第十駆逐隊を編成していた。本艦は、後に特III型にて本格採用された、空気予熱器付きの缶を試験的に搭載する改装を受けている。
開戦直前の1941年4月に七駆は一航戦所属となるが真珠湾攻撃には参加せず、潮とともにミッドウェー島砲撃を行った。他に同行していたのは給油艦の尻矢のみではあったが、別働隊として長時間航行した割に、攻撃の所要時間も30分程度でしかなく、米軍側の被害もあまり大きくはない。
また珊瑚海海戦では、空母祥鳳の護衛および救助活動を行うが、その活動中に軽巡洋艦夕張を敵艦と誤認。一度は戦闘配備に就くも、識別信号によりすぐに味方だと認識、これを解いた。

その後、第一次ベララベラ夜戦では、三水戦司令座乗の旗艦を務め、本艦と時雨浜風磯風による駆逐隊を率い、本来の目的である輸送任務を成功に導いている。

2代目漣が沈められたのは1944年1月、曙と共に2隻でタンカー船団を中途より護衛するという任務に就いていたときである。もと曙乗員の証言によれば、この任務の直前まで2隻はラバウルで連日敵機の空襲に見舞われており、空にばかり注意が向いており、潜水艦対策はまったくといってよいほど取られていなかったという。しかも曙の水中探信儀が故障中で、こちらも潜水艦に気づくことができなかったが、このことが2隻の命運を分けてしまう。
船団に合流する予定時刻、その地点に到着した2隻だったが味方船団は現れず、仕方なく遊弋して待っていた。それから1時間後、漣が曙へ通信を発しかけた瞬間、米潜水艦アルバコアの流れ弾を3発浴び、そのうちの1発が不運にも弾火薬庫を直撃、凄まじい大爆発とともに漣は殆ど一瞬にして姿を消してしまった。
文字通りの轟沈となったが、生存者の手記によると、轟沈前に筏もしくは木材を積んであったこともあり、89名がこれにつかまり救助を待った。うち3名はその後戦死するが、残りは曙に救出されている。その曙も同年11月のマニラ湾空襲で大破着底したが、そちらは翌年1月に除籍されたとはいえ終戦を迎えており、戦後浮揚作業を経て解体されている。

なお2代目漣は、皇紀2600年記念行事の特別観艦式に七駆の中で唯一参加した。ほかの3隻も参加の予定があったが、北部仏印(現在のヴェトナム北部とラオス)への進駐にともない、陸軍部隊の輸送船団が出発、その護衛の為に駆逐隊が入用になったことから、観艦式参加が取りやめになったといういきさつがある。

関連項目

さざなみ(護衛艦):3代目に相当する、海上自衛隊の汎用護衛艦・「たかなみ」型の4番艦。
曙(艦隊これくしょん):2代目曙は吹雪型18番艦。これも海自艦の名称に2度使われており、現在は新「むらさめ」型8番艦の4代目「あけぼの」が現役にある。

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