曖昧さ回避
- (株)モンテローザが展開する居酒屋チェーンの1業態。
- かつて日本橋に存在していた呉服店(詳細)。戦後M&Aによって東急グループ入りし、同じ東急系の東横デパートを吸収合併する形で現在の東急百貨店となった。また京浜デパート(現在の京急ストア)や菊屋デパート(現在の西武百貨店)のように白木屋(またはその関連会社)が鉄道会社との共同出資で設立した店舗もいくらか存在していた。本店(後の東急百貨店日本橋店)は1999年に閉店し、跡にはコレド日本橋が建っている。『男はつらいよ』に登場する寅さん(車寅次郎)の啖呵売(叩き売り)における、つかみ口上「角は一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅白粉つけたお姐ちゃんから、ください頂戴で頂きますと………」でも知られる。
- 茨城県下妻市の白木屋カバン店
火に祟られた白木屋百貨店
白木屋は明治以降、3つの火災と因縁がついている。
1つ目は昭和7年に発生した、白木屋自身の火災「白木屋大火」である。当時の白木屋は8階建ての鉄筋建てで、当時の日本にあっては群を抜く高層ビルであり、この火災は日本における初の高層建築物火災と言われている。
出火の原因は、クリスマスデコレーションの電球が故障したため、それを修理しようとしてスパークを発生させた。それが商品のセルロイド製玩具に引火し、たちまち炎上したという。
当時、日本の消防には高層ビル火災に対応する装備がなく、身の軽い消防士が避難誘導や消火に尽力したが、結局全焼判定となった。死者14人、負傷者67人。
この火災について分析した、当時の物理学者で防災研究家の寺田寅彦は、こう書いている。
「実に幸いなことには事件の発生時刻が朝の開場間ぎわであったために、入場顧客が少なかったからこそ、まだあれだけの被害ですんだのであるが、あれがもしや昼食時前後の混雑の場合でもあったとしたら、おそらく死傷の数は十数倍では足りず、事によると数千の犠牲者を出したであろうと考えるだけの根拠はある」
これを証明してしまったのが第2の火災、昭和48年に発生した「大洋デパート火災」である。発生時刻は13時15分。死者103人と寺田氏の説を裏付けてしまった。
昭和24年、白木屋は横井英樹に株式を買い占められ、経営陣が一新され、乗っ取られかけた。しかし横井を支援していた千葉銀行の資金が尽き、運営に支障をきたすことが明らかになった。千葉銀は東急グループ総帥だった五島慶太に事態の収集を依頼、横井とその周辺から株式を取得して、白木屋は東急グループとなり、東急百貨店の礎となった。
と、ここでピンと来た人も多いだろう。この騒動の主役だった横井が後年、起こしてしまうのが「ホテル・ニュージャパン火災」である。