概要
世界で始めて作られた高分子プラスチック。別名硝酸セルロースともいい、その名の通りニトロセルロースに樟脳を混ぜ込むことで比較的簡単に合成できる。セ氏100度以下の加熱により容易に変形(熱可塑性樹脂)し、成形が簡単であり、色もつけやすいことから、多くの産業で使われていた。
しかしその反面、原料のニトロセルロースは火薬や着火剤として用いられるほど発火しやすい。セルロイドもその性質を引き継いでいるために、摩擦や高温などで自然発火してしまうという危険性があった。
日用品や生活雑貨、映画や写真のフィルムとして非常に多くの製品が出回った一方で、セルロイド製品が火元となった火災や爆発事故が相次いだ(特に1937年に起こったフォックス保管庫火災、鹿児島線列車火災事故などが有名)。こうしたことから現在は消防法で大5類危険物に指定されており、一定量以上の貯蔵や輸送には適切な届け出や管理が必要となっている。セルロイド製品を公共交通機関で多量に輸送することも禁じられた。
また、光や酸素などによって劣化しやすいという面もある。分解・劣化が起こりやすいだけでなく、その過程で強酸性のガスが発生するためにセルロイド製品自身や周囲の金属などに腐食を起こす可能性があり、より便利な新素材が出ると取って代わられていった。
なお、アニメーションの制作現場で使われる「セル」の語源「セル画」は黎明期にセルロイドで作られたシートに絵を描いていた事に由来している。こちらに関しても映画同様、撮影機材などの熱で燃える危険性があったことから1950年代ごろにアセテートに置換されている。
歴史
セルロイドは19世紀半ばごろに象牙の代用品として開発され、最初はビリヤードの球、続いてべっ甲の代用品として眼鏡のフレーム、さらには食器や衣服の襟などに使用された。また19世紀後半には容易に加工できる特性から写真や映画などのフィルムに用いられるようになった。さらには様々な色をつけられることからおもちゃや人形などに使用されるようになった。
ところが20世紀中盤、この物質による発火事故が相次いだことからアメリカは輸入を制限、代用品としてアセテートやポリエチレンなどのプラスチックに置き換えられ、この物質の使用は激減した。
その後はピンポン玉やギターピック(代用品が使えなかったため)、眼鏡のフレームや万年筆の軸(見た目の美しさのため)など限られたものに用いられていた程度であるが、これらの用途も20世紀末までには後発のより優れたプラスチック素材に置き換えられた。
セルロイド人形
加工と着色が容易であった事から、1910年代から日本国内でも盛んにセルロイド製の人形が作られるようになった。幼児向けの起き上がりこぼし、女児向けの着せ替え人形、キューピー人形などが主力商品で、国内販売のみならずアメリカ向きの輸出品として大量生産された。布製の文化人形とならんで当時の女児向け玩具の主力製品である。
多くは下町の工場での手生産であったが、かなりの輸出高となっており全盛期には無視できない外貨獲得手段だった。しかし、前述の通り出火の危険性を懸念したアメリカ政府が1955年にセルロイド製品の輸入を禁止したことで衰退。ほとんどの工場がポリ塩化ビニル、いわゆるソフビの生産に乗り換えるなどして姿を消していった。
一方で、こうした製品の歴史的価値を高く評価する人やコレクターなども存在しており、中古玩具市場では高値で取引されていることもある。
また、2000年以後は葛飾区でかつてセルロイド人形を作っていた平井玩具製作所によって、「ミーコ」「ゆめちゃん」など当時の商品が復刻販売されている。1996年以降はセルロイドの国内生産量が0となったこともあり、現在国内で唯一のセルロイド人形を手掛ける会社となっている。