概要
文政10年(1827年)9月に江戸は赤坂、芝、浅草、十条などの各寺に出没したとされる怪異、もしくは妖怪。
姿を見せる事無く、足跡などの痕跡も全く残されていない状況で、誰の墓石という事ではなく、手当たり次第に墓石が綺麗にピカピカに磨かれているという事件が発生し、その数も1つの寺で、7、8本、多くて30本にも及んだとされ、昼間はそのような様子も全く見らず、夜間に行われた可能性や、わざわざ寺の墓地に忍び入り、見ず知らずの赤の他人の墓まで綺麗にしてくれる人物などいないだろうという事で、この妖怪の仕業ではないかといわれるようになったという。
その正体は不明で、白い着物を着た男女だったとか、恐ろし気な女だったとか、法師が磨いている所を見た、3人の人が寺に現れ消えた、いや石塔磨という名の虫ではないのかなどと様々な噂話が飛び交い、この騒ぎを収めるために正体を突き止めようと奉行所までも乗り出したといわれているので、当時は結構有名な存在であったようだ。
結局、奉行所はその正体を突き止める事は出来ず、一端事態は収拾したが、天保元年 (1831年) 7月から武州岩槻を皮切りに再び石塔磨きは出現し、古い石塔などが一晩のうちにいつの間にかピカピカに磨き上げられたとされており、墓場に番人を付けておくと、その夜は何事も起こらないが、翌朝にはいつの間にか磨かれており、何時このような事が起きなのかは全く分からなかったとされている。