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建築物としての概要

日本では、衆生を鎮魂する供養塔(石塔婆)に始まり、やがて個人の墓標としても作られるようになる。デザインにはインド中国由来の仏教思想が取り入れられており、五輪塔・宝形印塔などはその例である。

氏族としての概要

鎌倉後期から室町前期にかけて活動した氏族で、足利氏の支流の一つに当たる。「石堂氏」と称されることもあり、名前は上記の建築物としてのそれに由来するものと見られるが、その詳細については今なお定かではない。

南北朝動乱期には、時の当主である石塔義房が奥州支配を任せられるも、足利尊氏との対立からその弟である直義の与党として仕え、度々尊氏方と抗争を繰り広げた。また、直義が南朝方へ従う際には、義房の子である頼房の働きがあったと見られるが、後の足利義詮の治世下で降伏・没落を余儀なくされた。

一方で、頼房の子である直房(忠房)は父と決別して尊氏方につき、奥州管領として当地に下向したと見られる他、その兄である頼世も足利義満の馬廻りを務めたとされるが、15世紀以降の石塔氏の活動は史料上で確認されておらず、足利一門の中で早々に没落したものと考えられている。

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