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蔭山和夫

かげやまかずお

1950年代に活躍した日本のプロ野球選手(メインイラスト左。因みに右は野村克也)。

概要

1927年1月、大阪市生まれ。大阪府立市岡中学(現・大阪府立市岡高校)から早稲田大学を経て、1950年南海ホークスに入団。1951年にパ・リーグ最優秀新人賞に輝いたが、これは、「2年目の選手でも最優秀新人賞を獲得出来る」という、その年限りの特例が適用されたため。

走攻守3拍子揃った選手として活躍したものの、1959年シーズン終了後に引退してしまう。実働わずか10年だった。
その直後南海のヘッドコーチに就任、鶴岡一人監督の補佐役を務めた。1962年5月末から8月始めにかけて監督代行も務めている。

1965年オフに南海の監督に就任したものの、その直後の11月17日にこの世を去ってしまう。38歳の若さだった。

その死について

公式には「急性副腎皮質不全」という、えらい難しい名前の病気ということになっている。しかし、蔭山の「一番弟子」であるノムさんによると、「蔭山さんのアレ、自殺だったんやないかなあ」だそうである。
監督就任までの様々なグダグダに蔭山はすっかり参っていたようで、メシは喉を通らず、睡眠薬を飲まないと寝ることも出来なくなっていたという。しかも、それをつまみに酒をガバガバ飲むようになってしまっていた、「あれ?蔭山さんあまり酒飲めなかったよね!?」・・・・・・・・・・
「だからアレは覚悟の自殺だったんやろうな・・・・・・・・・・」とノムさんは述べている。
なお、蔭山の最後の言葉は、に対して告げた「野村に連絡してくれ・・・・・・・・・・」だったそうである。

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