概要
経歴
建久9年(1198年)に誕生、建仁2年(1202年)に従五位下、後に左少将、左中将、蔵人頭となり嘉禄2年(1226年)に参議に就任、右兵衛督、右衛門督となり嘉禎2年(1236年)に権中納言、仁治2年(1241年)に権大納言に就任、後に民部卿を兼任し建長8年(1256年)に出家した、建治元年(1275年)に死去。
人物
歌人でもあったが若き頃は蹴鞠に熱中し父定家を嘆かせたが後鳥羽院や順徳天皇から寵を受けた、歌人として後古今和歌集の単独撰者でありまた続古今和歌集の撰者の一人となった。
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