概要
肌に直接つける肌襦袢(肌着)と、肌着と長襦袢の中間的存在の半襦袢、対丈(ついたけ)、広袖で肌襦袢と長着の間に着る長襦袢がある。
内衣がしだいに表面にあらわれ装飾化して小袖となる以前には、下衣(したごろも)、肌衣(はだぎぬ)、肌小袖(はだこそで)と呼ばれていた。
これらを下着と称さなかったのは、下着は上着・中着・下着と重ねて着る着方であったからで、襦袢という名で呼ばれたのは、小袖が定着した室町時代以降と思われる。
それまでの日本の下着は、白無垢の対丈仕立てであったが、南蛮人によって襦袢がもたらされた16世紀頃からは、丈の短い襦袢が流行し、腰あたりまでの「半襦袢」、身丈ほどの「長襦袢」などが作られるようになっていった。
漢字の襦は肌着、袢は半身衣の意味があり、ポルトガル語の「ジバン(gibão)」から転訛して、当て字で「襦袢」と呼ばれるようになったともいわれている。
なお、「ジバン」は、アラビア語の「jubbeh」(袖の広い上着)が語源である。