構造
九五式軽戦車の砲塔と車体上部の前半部分を取り除き、後部が解放された箱型の戦闘室が設けられており、主砲には九七式中戦車や九八式中戦車に搭載された一式47㎜戦車砲をスケールダウンさせた試製47㎜戦車砲(短)が搭載された(…と言われている)他、履帯も専用の幅広いものに換装された。
外観はドイツのヘッツァーやイタリアのセモベンテにような無砲塔低姿勢車両に似ている。
運用
使用方法は、搭載砲のベースとなった一式機動砲と同じく低姿勢を生かした待ち伏せが主体になったと思われる。自走化したことで敵の反撃をもらう前に素早く別の場所へ移動することも可能となり、限定的ながらも装甲板に囲まれたため、小銃弾や破片に強くなったことで生存性が上がった。
主砲の短砲身47㎜砲はM26重戦車が投入されることを考慮するといささか力不足ではあるが、M4に対する背側面への攻撃や軽装甲車両や非装甲車両に対しては効果を上げられたかもしれない。
なお、もう少し早く開発されているべきだったと言われているが、自走砲及び砲戦車の車体は主力戦車ないし、新型戦車の車体や部品を多く流用することが開戦前後には方針として決まっており、九五式軽戦車はそのどちらでもなく九七式中戦車の数合わせで量産されていたようなものなので見向きもされていない。四十七ミリ砲も当時の次期主力戦車に搭載させる予定であり、間もなく中戦車向けに量産を開始されることとなるため他車両に回される余裕はなかったとおもわれる。
また、ヘッツァーにも言えることではあるが非常に狭く、砲も車格に対し意外と大きいため装弾数も多くはつめず、砲戦車のように榴弾の威力が大きいわけでもないため、早期に完成していたとしてもどちらかと言えば不採用になる可能性が高かった。
まさに、大戦末期のあのような状態であったからこそ生まれた車両なのである。
その他
ホル車に搭載される予定だったのは当初、(短)だったらしいが資料によってⅠ型搭載とする物やⅡ型((短)と混同されている可能性が高い)と不明瞭である。