概要
第二次世界大戦中、ソ連が開発・運用したKV-1S重戦車ベースの自走砲。
開発
1942年よりキーロフスキー工場第2特別設計局(Zh.Ya.コーチン主任技師)はKV-1Sの車体に固定戦闘室式を設け152mm榴弾砲を搭載したKV-14の開発を進めており、重火力支援用の自走砲を求められるとKV-14を元に25日で設計図を完成させ、1943年2月14日にSU-152として制式採用され、3月から量産に入り、5月には戦線に投入された。
本来は敵歩兵を榴弾で吹き飛ばすための自走砲で、前面装甲も75mmと薄かったが、大口径砲の威力を見込まれ対戦車戦闘に使用される事があった。
ML-20S/152mm加農榴弾砲は距離1,000mで120mm、2,000mでも110mmの直立鋼板を貫徹することが可能だった。砲口初速は遅く、榴弾なので貫通力は少ないが、砲弾の大重量により厚い装甲を破砕することができた。ティーガーⅡの装甲さえ「貫通されなかったが、叩き割られた」という。
運用
SU-152は1943年12月まで生産され、生産総数は670ないし704両といわれる。
これらの車両は軍または方面軍直轄の独立重自走砲連隊(OTSAP)に配属された。この連隊は装甲車両のほとんどが大口径火砲を搭載した車輛で構成された。
クルスク戦においてティーガーⅠやパンター、フェルディナンド重駆逐戦車(タイガー・エレファント)を撃破して『ズヴェロボイ』(猛獣ハンター)と呼ばれたと言われるが、『ズヴェロボイ』にはロシア語で『オトギリソウ』の意もある。もっともオトギリソウがズヴェロボイ=猛獣殺しと呼ばれるのは、オトギリソウが猛獣を殺しかねない猛毒を持つ毒草だからであり、どちらに由来しているにしても原意は同じである。
ただし、”ティーガー”は長砲身型IV号戦車、”フェルディナンド”は他の自走砲で、この時撃破した”猛獣”はパンターのみではないかとされる。
その後、独立重自走砲連隊での定数も21両に増加、指揮官用車両輌もSU-152に統一され、クリミア戦やカレリア地峡戦などでも活躍した。
シャシーを共有するKV-1の生産が終わり、1943年12月よりIS-1ベースのISU-152に切り替えられる事になった。
大戦後は1950年代まで運用された。