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エレファント

えれふぁんと

エレファント(英:elephant、独:Elefant)とは、動物のゾウ。もしくは、第二次世界大戦中、ドイツ軍が使用した重駆逐戦車の名称。
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曖昧さ回避

  1. 哺乳網ゾウ目(長鼻目)に属する、陸上最大の脊椎動物→ゾウ
  2. 第二次世界大戦中、ドイツ軍が開発・使用した重駆逐戦車(突撃砲)。本項で解説。


ポルシェ博士の失敗

1941年5月に、連合国軍の歩兵戦車や対戦車砲に対抗するため、新たに重戦車を開発する指令がポルシェ社とヘンシェル社に下された。
1942年4月20日(ヒトラーの誕生日)に、2社がそれぞれ開発した試験車両がヒトラーの面前で直進走行試験を受けた。ヒトラーから寵愛を受けていたポルシェ社のフェルディナント・ポルシェ博士は、自身の設計した車両(ポルシェティーガー)に自信を持っていたが、試験の結果はヘンシェル社の車両がポルシェ社の車両を大きく凌駕していた(ポルシェ社の車両は地面にめり込んでスタックしてしまった)。最終的に、改良を加えたヘンシェル社の車両がVI号戦車ティーガーI)として採用され、ポルシェ社の車両は不採用になった(ただし砲塔と主砲はポルシェ社のものが採用された)。

ところが、試験結果を待たずにポルシェ社の車両90両分の生産許可が降りてしまっており、クルップ社が100両分の車体と砲塔の装甲板を納入済みであった。砲塔はVI号戦車に採用されたが、不採用となった車体が無駄になることを避けるため、駆動方式はそのままに主砲として71口径88mm対戦車砲を装備し、前面装甲200mmを備えた駆逐戦車が作られることになった。このポルシェティーガーを基に作られた重駆逐戦車がフェルディナント(後のエレファント)である


クルスク投入

1943年5月までに90両が生産され、ポルシェ博士の名前にちなんで「フェルディナント」と名付けられた。
完成した車両は第653及び第654重戦車駆逐大隊に配備され、「ツィタデレ作戦(=クルスクの戦い独ソ戦の天王山となった第二次大戦中最大の戦車戦)」に投入されることになった。
しかし、投入された戦線は敵砲撃が激しく、強固な地雷原もあり、多くが全損、もしくは行動不能に陥った。回収できる車両は可能な限り回収されたものの、クルスクの戦い終了後、生き残った車両は48両になっていた。
ちなみに、「車体前面に機銃が無かったため、歩兵による肉薄攻撃で撃破された」と言われるが、実際には行動不能になった車両は別として、動ける車両が肉薄攻撃で撃破されたのは夜間に襲撃を受けた1両のみである。

クルスク以降

生き残った48両のフェルディナントは、車体前面の機銃と車長用キューポラを装備、履帯の変更、機関室上面のグリルの強化などの改良を受け、「エレファント」に改称した。

その後は、部隊の併合や配属先の変更などで各戦線を転々とし、最終的に生き残った4両が1945年4月のベルリン近郊での防衛戦に投入された記録が残っている。
こうして「虎になれなかった象」はドイツ第三帝国と命運を共にしたのだった。

余談

過去の資料においては「過度な重量と変則的な駆動系によりトラブルが多発した」「機銃がなかったためソ連兵の白兵戦により多くが撃破された」など、エレファント(フェルディナント)は有用性に乏しい失敗兵器とする記述が多く見られた。しかし、近年の資料では実際には駆動系のトラブルはさほど起きておらず、高い火力と強固な装甲により当時のソ連製戦車を圧倒し、ドイツ兵士からの信頼は非常に厚かったとされる。

またソ連軍側も近距離で複数のT-34と野砲で集中砲火を行い、車体側面下部を撃ち抜くことでやっと撃破したとする資料が残っており、クルスクの戦いでの本車の戦闘力の高さに大きなショックを受けたとされる。ソ連軍はその後、ドイツ軍の突撃砲駆逐戦車を全部まとめて「フェアジナント(フェルディナントのロシア読み)」と呼び、強力な対戦車兵器の代名詞的存在になったという。

別称

ティーガー(P)駆逐戦車

関連タグ

自走砲 突撃砲 駆逐戦車 ティーガーI
ドイツ軍 ポルシェティーガー

ガールズ&パンツァー黒森峰女学園の車両として登場。

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