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SU-100

すーすとー

第二次世界大戦期のソ連製駆逐戦車。ティーガーIIを含むあらゆるドイツ戦車を正面から撃破可能な対装甲火力を有した。
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重戦車狩り編集

 SU-100(СУ-100)は、第二次世界大戦大祖国戦争期のソ連駆逐戦車。85mm砲を搭載するSU-85の後継で、T-34中戦車の車台を原型に開発された。

 呼称中のSUキリル文字表記でСУとなり、これはロシア語自走砲を意味する『Самоходная Установка』の略。


 SU-85と比べて最大装甲厚が増し(45mm⇒75mm)、さらに強力なD-10S型100mm砲を搭載。車体右上面にはハッチ付きの新型キューポラが増設されている。

 100mm砲はIS-2ISU-122の122mm砲を上回る対装甲火力を有し、当時最強のティーガーII重戦車を含むあらゆるドイツ戦車を正面から撃破可能としたほか、歩兵対戦車砲の排除に役立つ榴弾(=炸裂弾)の威力にも優れた。


 なお、量産当初の1944年9月から11月にかけて100mm砲の供給に遅れがあったため、初期の315輌のみ従来の85mm砲を搭載したSU-85Mとして生産されている。


運用・戦史編集

大祖国戦争編集

SU-100  LUCKY

 1944年9月の試験投入で好評を博したものの、肝心な徹甲弾の生産に遅れがあったためにしばらくの間は訓練学校で用いられ、11月からようやく部隊配備。1945年1月のブダペストや東プロイセンにおける戦いから本格的な実戦投入が始まった。


 45年3月、ハンガリーのバラトン湖戦域におけるドイツ軍第6SS装甲師団の反撃ではSU-100を装備する自走砲旅団が防衛戦に投入され、ティーガーIIを含むドイツ戦車との戦車戦を展開。相当な数が撃破されつつも攻勢を食い止めることに成功している。


T34

 45年4月のベルリンの戦いに装備部隊が参戦しており、その際のSU-100は他のソ連戦車・自走砲と同様に白線塗装の対象になった模様。

 

 45年8月の対宣戦布告に伴う満州侵攻にも投入された。


戦後編集

1973

 ソ連では1956年まで現役にあった。


 また、中華人民共和国チェコスロバキアキューバ東ドイツなど東側諸国に供給されたほか、イラクエジプトといったアラブ圏にも輸出。

 ソ連の戦後第1世代主力戦車T-54/T-55と武装やエンジンなどの規格が概ね同一だったため、同時運用に適していたという。


 キューバのピッグス湾事件、中東の第二次/第三次中東戦争など、戦後世界を揺るがす歴史的戦争に投入されたほか、現在もベトナム北朝鮮などで限定的ながら運用は継続されている。

 直近の実戦投入例はイエメン内戦(2014~)らしい。


量産編集

 SU-100は44年9月から量産開始、欧州大戦終結の5月までに約1,300輌、日本降伏の9月までに約2,000輌、ソ連における生産終了の1946年までに約3,000輌が生産されたほか、それ以降もチェコスロバキアでライセンス生産され、最終的な総生産数は4,661輌に達した。


登場作品編集


関連タグ編集

ソビエト連邦 赤軍 大祖国戦争 独ソ戦 第二次世界大戦

自走砲 突撃砲 駆逐戦車 対戦車自走砲

T-34 SU-122 SU-85 KV-85 IS-1

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