概要
政治活動家。
元々は共産主義者で左翼思想だったが、紆余曲折を経て反共・右翼思想に転じる。
1942年に衆議院議員に当選するも、戦後にGHQより公職追放される。
1951年に右翼団体「大日本愛国党」を結成し、初代総裁に就任。
銀座・数寄屋橋で辻説法を旺盛に行い、有名になる。
また、街宣車を使用した右翼(街宣右翼)の元祖と言われている。
昭和天皇の戦争責任を肯定していたり、北朝鮮に対抗するために韓国と手を組むべきと唱えていたり、現在の一般的な右翼思想とは一線を画す主張を持っていた。
1980年代後半から東京都知事選への立候補を繰り返す。
最後に出馬したのは1989年で、政見放送では90歳という老齢ながら溌溂と演説し、当選する見込みが無い事を自認した上で、世間や選挙そのものの不条理を説いた。
「何回選挙やったって、世の中良くなりません。」は、要旨を端的に表した一言である。
翌1990年に死去。
ニュースステーションのような大型ニュース番組でもその死が報じられた事実から、一活動家に留まらない影響力を持っていたことが窺える。
現在に至るまで右翼の伝説的人物として語り継がれており、彼に影響を受けた活動家は多い。