概要
生没年 応永14年(1407年)~応永32年(1425年)
応永14年(1407年)、室町幕府・第4代征夷大将軍・足利義持の嫡男として生まれる。母は義持の正室・日野栄子。
11歳で元服、右近衛中将正五位下に任じられたが、病弱と大酒飲みとして知られた人物で、あまりの虚弱体質故に父・義持に心配された人物でもある。
応永30年(1423年)、将軍宣下を受け、17歳で将軍職を受け継ぐが、実権はなお「大御所」の地位にある父・義持にあった。
出家した義持は、このとき病弱の息子を案じて大酒を慎むよう訓戒状を出すが、義量の大酒癖は彼が死ぬまで治らなかった。
応永32年(1425年)、父の心配が現実のものとなり死去、享年19歳。
父・義持は「将軍位」に戻ることなく幕政にかかわることとなったが、この間新たな将軍を選ぶことも、新たな後継者を選ぶこともなく、応永35年(1428年)、43歳で死去した。
為政者・後継者をともに亡くした幕府重臣は、義持の4人の弟から籤で選ぶこととなり、仏門に入っていた青蓮院義円(後の足利義教)が管領・畠山満家によって選ばれた。