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轟悠

とどろきゆう

宝塚歌劇団所属俳優(1985年 - 2021年)。男役として活躍、雪組トップスターを歴任後、専科で退団した。
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概要編集

熊本県出身。8月11日生まれ。


1983年、淡路島で大地真央黒木瞳と対面する。その際大地に受験を勧められ、同年、宝塚音楽学校を受験、見事合格。

合格を知った瞬間は入学を辞退しようかと考えていたが、不合格に泣いている他の受験生を見て「私が受験しなければ泣いている受験生の1人は受かっていた。そう思うと、入学を辞退するなんて申し訳ないと思った」と、入学する決断をした。


1985年宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は12番。花組公演『愛あれば命は永遠に』で初舞台を踏む。のちに月組に配属。


1988年7月、雪組に異動。


1992年5月、『恋人たちの神話』でバウホール公演初主演。


1997年、『真夜中のゴースト/レ・シェルバン』より雪組トップスターに就任し、同年9月にお披露目公演。前トップスターの高嶺ふぶきから引き続き花總まりとコンビを組むが、宙組の誕生に伴い花總が異動したため、『春櫻賦/LET'S JAZZ』より月影瞳を相手役に迎える。また、同時期に同期生4人が4組のトップスターを務めるというのは、宝塚歌劇団歴史上初の出来事(花組・愛華みれ、雪組・轟、月組・真琴つばさ、星組・稔幸)。他組出身者のトップスターは1985年就任の平みち以来、12年ぶりだった。


2000年、主演を務めた『凱旋門』にて、平成12年度(第55回)文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞する。


2002年2月、「春日野八千代に続くような存在に」と請われて専科に異動。


2003年3月、宝塚歌劇団理事となる。


2020年7月、宝塚歌劇団理事を退任・同特別顧問に就任。


2021年10月1日、宝塚歌劇団を退団した。


宝塚歌劇団を退団後は、「藏人」(クロード)名義でアーティストとして活動。

舞台俳優としての活動は見合わせている。


豆ちしき編集

兄と弟がいる。


幼少時代から絵画や日本舞踊等の習い事をし、活発で負けず嫌いな子だったという。

特に絵画は歌劇団在団後も続けており、不定期に個展を開催していた。


初見で男性と見紛うようなビジュアルをしており、「男性にしか吠えない犬に吠えられた」「フランスでやたら口説かれると思ったら全員ゲイだった」とエピソードに事欠かない。


関連イラスト編集

轟悠の魅力!

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